趣味Web 小説 2006-04-01

ブロガーという難儀な生き方

1.起

トニオさんには何か嫌なことがあって、以前のはてなアカウントを捨てたんですね。で、新しいアカウントを取って、楽しい新生活をはじめようとしていた。加野瀬さんは、トニオさんが新アカウントでとある嘘をついていることが気になっていた。けれども、その説明をするには、新アカウントをばらす必要がある。とりあえず、新アカウントをソーシャルブックマークして様子見を決め込んだ。

加野瀬さんのブックマークをお気に入りにしている人は数百人いるので、トニオさんの新アカウントはけっこうたくさんの人に知られてしまうことになった。トニオさんは怒って、日記で反応した。ま、罠にかかったようなものですよね。トニオさんが公開のウェブ日記で質問するなら、こっちもそうするよ、というわけで満を持して温めていたネタを繰り出した。で、トニオさんは開き直って(?)ガンガン反論をはじめたわけなんだけど……みたいな状況。

以上のまとめには、例によって私の憶測がいろいろ入ってます。

2.承

私的な対話ならメールなどを使う。ウェブ日記で意見を書くからには、仮に私信のような形式であっても、第三者の目を多少は意識しているもの。ウェブ日記ならどれでも同じかというと、もちろんそうではない。読者の人数とか、客層とか、いろいろ考えることはあって、加野瀬さんが最もホットな手持ち媒体であるARTIFACT@ハテナ系をトニオさんへの言及の場として選択したことには、一定の意図があるのだと思う。

トニオさんもメールではなくウェブ日記で反論を返したので、おそらく事態の収拾より、もっと大切に思っている何かがあるのではないか。

加野瀬さんもトニオさんも、何を望んでこんなやり取りをはじめたのか、私にはよくわからない。私の経験上、ネットバトルみたいなものは、「公開の場で書く」ことが最優先になっていて、他の目的が希薄化しているときに、起きやすいような気はしています。

議論が膠着したときに、ギャラリーの判断を仰ぐというならわかる。あるいは、自説に強い自信があって、相手が口答えしても大勢の支持を背景に叩き潰してやるぞ、といった意図があるなら、まあ理解できなくもない。けれども、たいていはそうではないのですね。何となく、公開の場で書く。

書いてしまう、といった方がいいのかなあ。素直にメールで意見する方が、議題となっている問題の解決には効率がいいケースが多いと思うわけです。みんなの前で批判するから、自尊心を大きく傷つけることになりやすい。あるいは肝心な部分をズバリ書くのをためらって「ほのめかし」にしたがためにトラブルとなったりもする。非公開の対話なら自尊心を傷つけないか? もちろん、そんなことはない。非公開でも直言し難いことは少なくない。ただ、公開のやり取りと比較すれば、と。

いや、非公開でのやり取りこそ、醜くエスカレートしていくことがあるではないか、という反論があるかもしれない。それはそうなのですが、非公開をいいことに罵倒の限りを尽くしたメールに、果たしてプライバシー権が認められるのか疑問です。著作権云々だって、もっと優先すべき問題があると考えられるケースはあります。そんなわけで、非公開でこじれた議論を公開の場に移すことは、必ずしも難しくない。

だから、もし「問題」の「解決」が最優先ならば、基本的には、とりあえず非公開で対話をはじめるべきなのではないか。企業間取引も、政府の外交も、大抵そうした手順を踏んでいますよね。

3.展

加野瀬さんのブックマークが嫌だったなら、トニオさんはメールで連絡すればよかったのだと思う。加野瀬さんしか読まないメールでかっこつける必要はないので、抗議なんかせずに「お願いだから勘弁してください」と下手に出れば、ブックマークを削除してくれたんじゃないかと思う。

逆に加野瀬さんがわざわざ目立つ場所でトニオさんの抗議に反応したのは、それとは別にいい機会なので云々を書くためでしょう。でもこれだって、機会なんか気にせず、メールで指摘すればよかった。メールでは無力? 私には、最初からそうとわかっていたとは思えません。相手の恥を公然と指摘しておいて、議論に自尊心バトルを絡めるのはやめてほしいという言葉を「名言」として紹介するのはいかがなものか。

とはいえ相変わらずウェブで元気に(?)反論するトニオさんにも、それほど問題解決の意思はないような感じがする。加野瀬さんが日記で反応したのを受けて、もう当初の希望は実現されないことが明らかとなり、やけになった? まあそうなのかもしれないけれど、もう一回はてなのアカウントを作り直すくらい、どうってことないんじゃないかと思う。だから、この場を適当に切り抜けることに気を向ければいいのに、と考えなくもない。

加野瀬さんの第二信には加野瀬さんなりの手打ち案が書かれています。「加野瀬さんは影響力の強い大手サイトなんだから、言及には気を使って欲しい」ということだと理解しました。ということは、これは対等に扱わないで欲しいという宣言なんですよね。というわけ。加野瀬さんは何となくギャラリーの支持において優勢なので、強気に出ている。そこがムカつく、という感覚は理解できるけれど、「そうです、すみません」とかいっておけば、「仕方ないなあ」となりそうです。

真実はどうだっていいわけですよ、相手が自分の望む行動をしてくれるなら。本当に切羽詰っているなら、四の五のいう余裕はない。加野瀬さんの挑発に乗るなんて、無駄なことをやっている場合じゃない。ましてやトニオさんが加野瀬さんを挑発するなんて、愚の骨頂です。ますます追い込まれるだけなのは目に見えている。

それでも、トニオさんはウェブ日記で加野瀬さんへの反論を書きたいのでしょうね。そもそも加野瀬さんだって、一定の意図を持ってブックマークされたのでしょう。だからこれは、予約済みのネットバトルだったのだと思う。

ただ、私は今回の加野瀬さんとトニオさんのやり取りを「くだらない」と思っているわけではありません。

4.転

「そんなことはチラシの裏に書いてろ」なんて言葉がありますが、ウェブ日記を書く人の大半は、公開するのでなければ日記を書けない人だと思う。私はそうでした。紙の日記には何も書けなかった。すごく書きたかったのにね。

高校時代から数年間、文通相手ができて、いろいろ書くことができて面白かった。ひたすら自分のことばっかり書くのだから、よく相手が我慢したものだと思う。まあ、相手の手紙の内容にほとんど触れないのはお互い様だったんだけど(と書くと、そんなことはない、といわれそうな気もしないでもない)。

最初は単に手紙を出すだけだったのですが、ふと「あ、生まれて初めて自発的に日記を書くことに成功してる!」と感動して、コピーをとってから手紙を出すようになりました。気持ち悪いねー。ワープロを買ってからは、コピーの手間がなくなって嬉しかったな。でもフロッピーディスクが不思議とよく壊れたので、やっぱり紙のコピーも必要だと実感させられた。

で、大学生になってメールを使えるようになったら、手元に自動的にコピーが残ることに感動したなあ。複数人と気軽にやり取りできるのもいい。それに大学のサーバは基本的に壊れないのが素晴らしい。

そんなわけで文通に飽きてしまって、「初期の手紙はコピーをとっていないので、コピーを送ってもらえますか? コピー代と手間賃は出します」とかいう手紙を書いた。ありがたいことにコピーがどさっと送られてきた。お礼状を返した後は、2回くらい年賀状。2回で終わりにしたのは、私の年賀状が届いてから、返信を書いた旨、さらっと書かれていたから。あー、面倒なんだろうな、そういうのは申し訳ないな、と。

えーと、何の話だっけ。あーそうそう、チラシの裏。チラシの裏じゃあ、日記を書けない人が、いるわけです。紙の日記を書いている人は、それをウェブに公開したい人の気持ちがよくわからないかもしれない。実際その疑問は正しくて、母が書いてる暗号のような日記を公開しても、誰も読みたがらないだろうし、母だってそんなもの、読ませたいとは思わないに違いない。ウェブに日記を書くなら、やっぱり今の日記とは全然別のものを書くことになるはず。それは不思議なことではない。

同じ「日記」という言葉を使っているのが誤解の始まりで、他人に読ませる日記と自分専用の日記は別物といっていい。そして、ウェブ日記でもブログでもいいんだけど、「他人に読ませる文章を書く」というのは、それ自体、けっこう重要な目的となりうるのではないか。「なぜ重要なのか」という説明が難しいから、これまで軽視されてきたのだけれど、ブログもこれだけ普及してきたことだし、そろそろ見直されていい頃だと思う。

5.結

加野瀬さんもトニオさんも、「公開の場で書きたい」ので、そうしている。加野瀬さんが問題視した「嘘」も、トニオさんが怒った「正体ばらし」も、もっと大きな欲求の中に飲み込まれている。「日記書きというのも、難儀な生き方だな」と、この日記を書きながら思いました。

我ながら、ものぐさの癖によくこんな長文を書いたものだね。ま、読者様のお力、ってやつですな。

6.補

私の結論は加野瀬さんもトニオさんも、「公開の場で書きたい」ので、そうしている。ですよ。瑣末な問題の解決や損得などを超越したところで喧嘩をなさってるのだ、と。トニオさんが引用された部分は、「問題」を「解決」したいなら……という話。実際にはトニオさんと加野瀬さんに却下された選択肢なのだから、ぼくとしてはまったく違うに決まってます。

Information

注意書き