趣味Web 小説 2006-03-31

「弱さ」を楯にする

いろいろ説明を付して格好を整えてはいるのだけれど、相手がトニオさんだからこそ、こういう記事を書いたんだろうな、と思った。なかなか、こういうのって踏ん切りがつかないんだよね……とか書くと、「遠慮なく書きたいことを書いてきたくせに」と苦笑される方もいそうですが。

こういった機会を捉えて、加野瀬をなめるなよ、みたいなアピールをなさっているのかも(妄想)。

案の定、早速こうして意気軒昂な反論が。加野瀬さんの読み通りでしょう。ここで打ちのめされて体調を崩すくらいの弱さを示すことができれば、流れが変わったのかもしれない。「加野瀬さん、ひどい」「トニオさん、かわいそう」みたいな。何だかんだいってこの界隈は、「リンクしたら電話してください」といわれると、「電話するの面倒くさいからリンクしないでおこう」と考えるような、相手の意向を尊重する思想が強い。本当なら、トニオさんが有利な局面なんですよね。

以下は余談ですが、こんなことを書いていると、またまた徳保は勝敗の考え方を持ち込んで、といわれるのかもしれませんけれど、議論の整理に二分法は便利なんですよ。二分法を使うとき、なぜか「左右」など優劣のない分け方だけが「倫理的に正しい」という思い込みにとらわれている人が散見されますが、ようは現実をうまく図式化できればいいのであって、変な制約は必要ないはずです。「大小」など格差を含有するグループ分けが妥当なら、そうすればよい。

「正しい」とか「間違っている」なんてのは、正解がわかっているなら二分法のグループラベルに使ってもいいですけど、たいてい誰かと誰かが議論している時点であらかじめ何が正しいかわかっていることの方が少ない。というかそもそも、実際の議論には多様な形態があるのに、特定のカタチ以外は議論ではないとか何とかいって枠組み論で切り捨て、みたいな人がちょくちょくいて、なんだかな~と思うことがしばしばあります。

上記リンク先は世評の高い記事なのですが、私はちょっと補注をつけたい。Iwatam さんは「幸福な議論」だけを議論とみなしているようで、とすると、これってそんなに使い道のないマニュアルなのでは?

関連記事として、「インターネット人類補完計画」の果てに(id:fujipon さん)をご紹介。ネットマナーの議論は続くよどこまでも(2005-08-07)に書いた通り、歩み寄るコストが争うコストより高いことが、id:fujipon さんの理想に共感する人が多いにもかかわらず、現実が理想に近づかない理由。「幸福な議論」なんて、そうそうあるものじゃない。

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