そもそも「議論」に勝ち負けなんてあるのか?
私は「ある」という立場を取りますが、「ない」と主張する側の意見が提出されていないので、まずひとつ典型的な「議論に勝敗はない論」を示します。
私の知る主なパターンは、上記3種類です。いずれも「幸福なケース」だけに当てはまる理屈だと、私は認識しています。
仕事上の議論ならば、少なくとも金儲けという最終目標自体は共有されていることが多い。しかも「結論」を必要とします。したがって、まだしも議論は整理され、主張の統合もしやすい。ところが日常生活におけるたいていの議論は、そもそも「結論」に到達する必要がない。よって双方とも現実的な着地点を希求する動機を持たず、一歩も譲らないことになりがち。結果、お互いに相手が主張の前提として示した事実・価値観のいずれか、あるいは両方に同意しないことが多い。
そんなわけで、1対1の議論に勝敗はつきにくい。これが3人、4人と参加者が増え、ギャラリーも大勢になってくると、しばしば「勝ち負け」がハッキリ見えてきます。多数派の支持を得た側が、事実上の勝者として振舞うことになるのです。事実上の敗者がどれほど言葉を重ねても、負け惜しみと解釈する空気が作られます。
幸福な議論には3つの条件が必要なのです。
世界に価値観がひとつしかないのならば、前提条件を入力すれば方程式のように回答が出ます。しかし現実には多様な価値観が存在し、歩み寄りの余地がない部分が原因で、議論の参加者が共通の解を持ち得ない問題も存在します。
仮に双方が(概ね)満足できる解があるとしても、そもそも結論を必要としていない場合、双方が個別に最適化を目指した解を主張しあうこととなり、議論は膠着状態となります。
そして結論が存在し、結論を出す必要性があっても、そこへ辿りつく道筋がない場合には、どうしても結論には到達できません。……議論に勝ち負けが生じる最大の理由は、この第3の条件が崩れ、収束しないはずの議論が強制的な手法で決着してしまうことにあります。
ウェブ上の議論において最も普遍的なのが、物言うギャラリーの多数派の支持を獲得した側が事実上の勝者となるケースです。ここで注意しなければならないのは、あくまでも議論が展開された「場」における多数派を味方にできれば勝てる、ということです。ブロガーの常識は世間の非常識かもしれませんが、ブロガーたちの世界で議論が完結している限り、ブロガーたちの間で多数派を形成することに成功すれば勝負は決まります。
仕事の議論では、しばしば時間切れが宣告され、権限を持つ人が一撃で結論を下すことがありますね。反対者の不満は押し潰されてしまう。
納得による結論導出プロセスが、何らかの理由で閉ざされている場合、それでも結論が出るケースがままあり、そのとき不幸な議論は勝者と敗者を生み出すのです。