趣味Web 小説 2005-08-07

ネットマナーの議論は続くよどこまでも

ネットマナーの話題。何回でも同じことを書くよシリーズ。

仰ることはわかるんですね。「私がされて嫌だなと思うことはしないでほしいな」という感覚。「わかってよ」というね。それはわかる。

ただ問題は、「する」側にも意思があるということなんですね。ただ無意識に、何も考えずにフラフラと「していた」という人ばかりじゃない。明確な意図と狙いを持ってですね、絶対に「するぞ」とおもって「して」いる人がいるのです。相手が悲しんでいるとしても、それでも「やらねばならぬ」という考え方がある。

乱暴な例え話をしますとね、泥棒が「ぼくは逮捕されたくない。だから逮捕するな」といったとして、じゃあ逮捕しないのが正しいのか、と。

「他人の嫌がることはするな」だけでは、あっという間に行き詰るのです。泥棒の逮捕なら、まあ、意見が一致する? そうでもありませんよ。証拠不十分での逮捕だとしたらどうです? 逮捕する側の正義が怪しくなりますね。そこでもうひとつ付け加えましょう。物証はなくとも状況証拠はたくさんあって、だから逮捕して絞り上げて自白を取ったら一件落着という場面だったら、いかがですか? 悩みませんか。

まあ、この事例では、大半の人が一直線上にある価値観で綱引きするから、まだ話がわかりやすい。

無断リンク問題の場合は、リンクされて嫌だと思う側が、たいていリンクする側の気持ちを理解できない。何故そんなにリンクしたいのか、わからないのですね。そして「こんなに私が悲しんでいるのに! 怒っているのに! それでもリンクし続けるなんて許せない!」と言い出したりすることもある。

リンクする側の価値観と、される側の価値観が大きくずれてしまっている。かの有名な「毒吐きネットマナー」は、無断リンク問題についてはリンクされる側の管理人の気持ちが優先されるべきだ、と説きました。ひとつの考え方として、私はそれを認めます。少なくとも現在は。ただね、なぜそうするべきなのか、毒吐きさんは教えてくれない。でも、それは仕方がないことです。

価値観=「べき」論は、必ず事実に何らかの飛躍を付加したところに起点を置きます。いくら事実を積み上げたって、当為命題は証明できません。人が悲しんでいる。だからどうした。人が死んだ。だからどうした。悲惨な死に方だ。だからどうした。「人が悲しむようなことはすべきでない」という価値観を最初に設定しなければ、話は前へ進まない。

ここに根本的な問題があります。第一歩の価値観は信念といってもいい。この信念が全然違う者同士が歩み寄るのは、簡単じゃない。多くの場合、歩み寄るコストが争うコストより高い。だから、信念を曲げるより戦うことを選ぶ。だから優しい世界を希求するはずのネットマナー指南サイトが毒を吐く。

日本人の大半が被リンク情報の管理者が嫌がるリンクは規制されるべきだという考えなら、そういう法律ができたっていいと私は思う。世界に笑われるとしても、日本の法律は日本人が決めたらいい。世界をひとつの価値観に塗りつぶすのが正しいとは考えない。ただ、私はそういった法案には反対します。仮に法律が成立したって、私はとりあえずそれを守るけれども、反対勢力に力を貸し続けるでしょう。憲法だって改訂できるのだし、その自由はある。……というのが、私のスタンス。

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