趣味Web 小説 2005-08-07

target 属性と信念の選択

target="_blank" の話題。他サイトへのリンクを新しいタブで開きたいとは考えない人が現にいるにもかかわらず、target="_blank" とすると、閲覧者は選択の余地なく新しいウィンドウを開かされてしまう。これが target="_blank" が嫌われる唯一無二の理由です。しかし他サイトへのリンクは別窓で開きたいという大きな需要が製作者と閲覧者の双方に存在するため、target="_blank" 利用者はますます増加しつつあるのが現状です。

これは非常にシンプルな問題です。「閲覧者の自由」という観念を守るか、「多数派の期待」に応えるか。これは製作者の信念の問題だといってもいい。考えるのが面倒な人には、「自分が便利だと思う方を採用しなさい」と私はいっています。「大多数がどうだとか、そんなことを気にするようなご身分なのか?」というわけです。

どんな決断をしたって、それで閲覧者が増えることも減ることもありません。短期的にはともかく、長期的にはそういっていい。現在の閲覧者は、現在のあなたが好きなのだから、変化を望まない可能性はあります。けれども、日本のネットユーザは7000万人いるわけです。現在の読者を全て失ったって、新たな読者を捕まえればいいだけの話。だから、純粋に自分の思うようにしたらいい。私はそう思います。

ウェビンブログで2004年8月に書いた記事「馬鹿な閲覧者は勝手に不幸になればいい」の一節が紹介されているわけですが、その記事は2004年2月の「リンクの target 指定」を踏まえたものです。target 指定に関する状況整理と処方箋のあり方については、2月の記事で詳細に扱っています。そこで私がなんと書いているか。

私は「バカな閲覧者は勝手に不幸になればいい」と思うが、多くの製作者はなかなか割り切れないだろう。自分がちょっと手間をかけるだけで喜んでもらえるのであれば、一肌脱ごうと思ってしまう。

その結果、ある程度勉強してきた閲覧者が不幸になるのは理不尽だ。理不尽だがしかし、あまり問題にはならない。やはり多くの場合、勉強してきた人の希望も「他サイトへのリンクは新窓で開きたい」だったりするので、製作者の target 指定は案外、邪魔になることが少ない。ちょっとできのいいタブブラウザなら、「既読タブを閉じる」なんて機能もある。どうせ勉強するなら、ブラウザもいいものを選べばいいんじゃない? という意見も通用しそうな状況になってきた。

私も何度か、「他サイトへのリンクは新窓で開くようにしてくださいよ。自分で選べるなんていっても、他サイトと同じ感覚でつい左クリックしちゃうんです。そういうことを繰り返していて、不便なんですよ」みたいな意見をいただいているのだけれど、説得力のある反論が思い浮かばない。

いかがでしょうか。私は target="_blank" に目くじら立てません。タブブラウザを使ったら、自分の問題は解決されてしまったからです。でもまだ世の中には IE の利用者が多くて云々、という意見もありましょうが、その WinIE ユーザの過半は target="_blank" 支持者なんですね。少数派の要望と多数派の要望を単純に天秤にかけたら、後者が勝つのは当たり前です。

Strict HTML に何かしら思い入れを持ってウェブデザインをやっていくというのは、はっきりいって、多数派がどうこうという次元では語れない問題なのです。最大多数の最大幸福という考え方を現実的な視点で取り入れていくならば、「多数派のユーザは健常者であり、WinIE ユーザ、そしてみんなお勉強が大嫌い」これが大前提となります。

本来、他サイトへのリンクは新タブで開くとか開かないといったことは、ブラウザの設定をいじって閲覧者自身が決めればいいことです。HTML 文書の製作者が、他サイトへのリンクは絶対に新タブで開きなさいと指定するべきではない。少なくともそれは、全員が幸せになれる方法ではないわけです。

2004年8月に、たしかに私はこう書きました。しかしこの発言の真意をつかんでほしいのです。「本来どうあるべきか」という視点が、現実には通用しない。けれども「怠惰な多数派に迎合した方式」は必ず少数派の犠牲を伴っていることを忘れるべきではない。私は、そう主張したいのです。

2003年11月13日の備忘録で、私はこう書きました。

現実に大半の閲覧者がユーザCSSの使用を常態化することは、ありえないでしょう。しかし、それ以外に、すべての問題をすっきり解決する手はありません。

あらゆるサイトの見た目は閲覧者が決める、それが基本とならない限り、製作者の用意するデザインが主な読者層におもねって少数派を切り捨てる構図は決してなくなりません。現に切り捨てられている少数派は、現在でもユーザCSSで問題に対処する他ないのです。しかし、少数派が少数派であるがゆえに、マークアップのおかしな文書が世の中にあふれかえっています。HTML文書に視覚デザインを背負わせる、無謀な試みに心奪われた(そして何故それが無謀なのか気付かない)製作者、閲覧者が多過ぎます。

大半の閲覧者がユーザCSSを使用するならば、製作者は自ずとマークアップをちゃんとやらざるを得なくなります。テーブルレイアウトなど、もってのほかだということになるでしょう。そして、虚飾を排し本文を尊重する文書が、誰からも称揚されるようになるでしょう。閲覧者の大半が、現在いわれるところの「アクセシビリティの配慮」を必要とする存在となれば、製作者は当然、対応せざるを得なくなるわけです。アクセシビリティの問題が、一挙に解決します。

これが夢物語に過ぎないこと、その決定的な理由がリッチな視覚系ブラウザを問題なく使用できる多数派の閲覧者の怠惰と欲(=HTML文書に文書構造以外の何か、例えば視覚デザインを期待すること)にあることが、非常に残念です。

2年が過ぎた今、状況はどうでしょうか。10年経っても、本質的には Strict HTML の理想が世間に広まることはないでしょう。

あなたのように世界を諦めきっている人が、なぜ、何かを主張することをやめないのか? そう問う人もいます。なるほどね。返す言葉はない。だから無理をおして回答するために、思いきり言葉を上滑りさせます。……人間は社会的動物だけれども、人類の歴史は少数派を許容する世界をこの極東の島国の中に作り上げたのです。そう信じたい。こうして自分が何事かを書くことが、その期待を確信に変えるために必要な行為なのです、おそらく。

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