アクセシビリティ向上がたいてい掛け声倒れに終るのは、地球環境問題への対応が常にぬるいものとなることに似ている。誰も、現在の便利な生活を手放したくない。何一つ生活水準を切り下げないことを条件にして、環境問題に配慮することを考える。だから、抜本的対策などできない。アクセシビリティの話題なら、それでも急進主義者が一概に否定されないけれども、ユーザビリティの話題になると、コトは微妙な領域に入り込む。
- 指定しない、もしくはフレームの場合”_top”で同一ウィンドウに表示 91
- ”_blank”で新しいウィンドウに表示 168
- どちらでも良い 35
- その他 6
- 合計 300
意外に指定しない、もしくはフレームの場合”_top”で同一ウィンドウに表示
が多い。もちろん、この手の質問に関して「はてなの回答者」に偏りがあることは容易に想像がつく。しかし閲覧者からの要望で他サイトへのリンクを新窓で開くよう変更した例は多いけれども、その逆はとんと記憶にない。
私は右のダブルクリックで新しいタブを開くよう設定していて、だからサイト作成者があらかじめあれこれ指定してくれない方がありがたい。けれども多くの人は不勉強だから、右クリックから「リンクを新しいウィンドウで開く」を選択する方法、あるいは「Shift+Enter(or 左クリック)」しか知らない。いや、それさえも知らない人が少なくないのではないか。
「新しいタブ(もしくは新しいウィンドウ)で開く」手馴れた手法を持っている人は少数派で、その一方で「他サイトへのリンクは新窓で開きたい」という人は多い。そして、勝手に新窓が開いたからといって致命的な問題が生じることは無い。とくにタブブラウザを利用している場合には。こうした状況を鑑みるに、多くのサイトが他サイトの記事へのリンクに target="_blank" と指定することは理解できる。
「閲覧者の自由を狭めない」というのはユーザビリティの基本的考え方の一つだけれども、これに対して「ユーザのしたいことを先回りして準備する」こともまた、製作者には求められている。ユーザが「他サイトへのリンクは新窓で開きたい」と考えているならば、製作者側でその希望を実現することが「ユーザの利便を向上する」ことになる。リンク target 問題の争点は、製作者が target 指定すると、ユーザの選択肢がなくなることだ。しかしユーザが通常のリンク参照と同等の簡単操作で新窓を開くためには、ある程度の勉強が必要だ。そして多くのユーザは、「(自分は何も努力する気が無いが)製作者には何とかしてほしい」と思っている。
私は「バカな閲覧者は勝手に不幸になればいい」と思うが、多くの製作者はなかなか割り切れないだろう。自分がちょっと手間をかけるだけで喜んでもらえるのであれば、一肌脱ごうと思ってしまう。
その結果、ある程度勉強してきた閲覧者が不幸になるのは理不尽だ。理不尽だがしかし、あまり問題にはならない。やはり多くの場合、勉強してきた人の希望も「他サイトへのリンクは新窓で開きたい」だったりするので、製作者の target 指定は案外、邪魔になることが少ない。ちょっとできのいいタブブラウザなら、「既読タブを閉じる」なんて機能もある。どうせ勉強するなら、ブラウザもいいものを選べばいいんじゃない? という意見も通用しそうな状況になってきた。
私も何度か、「他サイトへのリンクは新窓で開くようにしてくださいよ。自分で選べるなんていっても、他サイトと同じ感覚でつい左クリックしちゃうんです。そういうことを繰り返していて、不便なんですよ」みたいな意見をいただいているのだけれど、説得力のある反論が思い浮かばない。
私自身は、どんなサイトでも新窓を開きたいときは右のダブルクリックが習い性になっていて、だから迷うことが無い。「あなたもそうしたらどうですか」といってみるのだが、「私の見ている他のサイトは左のシングルクリックで新窓を開いてくれるわけだし……」と煮え切らない返事。同一サイト内のリンクだって、新窓で開きたいと思うことがあるだろう。他サイトへのリンクだけが、新窓で開いて便利なわけじゃない。しかし、勉強を億劫だと思う人に、そういう「小さな餌」はあまりに無力であるわけで。
結局、「あんたのことなんか知るものか」という結論になるのだけれど、ユーザビリティ向上のためにユーザを失うという話。
こうした例はいろいろあって、例えばフレームというのもそう。フレームを利用したナビゲーションに心酔している方がいて、フレームを使っていない当サイトは「ナビゲーションが使いにくいですね」と意見されたことが何度かある。キーボードの Home キーを使えば一瞬でナビゲーションにたどり着くのだが、常に画面の一部を占拠するフレームの方が「ユーザーフレンドリー」だというのだった。
ユーザビリティには原理主義の聖典がない。使いやすさを突き詰めていくと、「その人次第」になってしまう。アクセシビリティのように錦の御旗があってさえ、「現実問題」の壁の前に苦労するものであって、ましてやユーザビリティは理想論を語りにくい。
オチなし。