趣味Web 小説 2006-04-04

「旧約聖書を知っていますか」が面白い

旧約聖書の話題。聖書は死ぬまでに一度は読みたいと思っているのだけれど、小中学生向けにリライトされたものでさえ、読んでいると欠伸がとまらないので、当面は無理なんじゃなかろうか、と思ってはいる。よくわからないけれど、何らかの波長が合わないのでしょう。それでも読みたい。ずーっと、そう思い続けている……だけで何もしないのが私らしいところ。

書店で聖書を立ち読みしてみたりはするのですが、広辞苑を1ページ目から読むようなものだなあ、と。最初は面白いですよ。でも、10ページも耐えられないでしょう。私にとって聖書というのは、そんな感じの本なんですね。聖書入門みたいな本もたくさんあるわけですが、別にキリスト教自体に興味があるというわけではなくて、私の場合、いろいろな小説や随筆を読む際に、聖書の素養がちょっとでもあったらなあ、と思っているだけなんですね。もともとの動機がそんなだからダメなのかなあ。

小説版の聖書が話題になったときにも、「とりあえずこれでいいや」と思って数ページは読みましたが、ベストセラーになった「読みやすい」と評判の小説でさえ手が止まってしまったので、ひょっとして何か悪霊でもついているのかと不気味な感じがしました。

小説「聖書」旧約篇〈上〉 小説「聖書」旧約篇〈下〉

さて、2月3日に finalvent さんが世の中にこんな美しい話は少ないというほど美しい話としてエサウとヤコブの物語を挙げられたので、「よーし、創世記だけでも読むかー」(注:エサウとヤコブの物語は旧約聖書の創世記に収められている)と気合を入れてみたけど、案の定、「光あれ」で飽きて放り出した。無念なり。

3月末に数年間ずっと積読になっていた(そしてわざわざ引越しの荷物として持ってきた)山口雅也さんの大作「奇偶」を読み始めたら、今度はヨブの物語が出てきました。これがまたなかなか興味を引かれる紹介のされ方なので、今度こそ……と思ったけど、やっぱり挫折。もちろん、あんな分厚い本を全部読もうというのではない。当該の部分だけ読もうという話なのに、これがつらいんだなあ。そのくせ読みたいという気持ちだけはあるのだから、たまらない。

多分、私にはまだ早い、ということなのでしょう。こうなったら頼みの綱は阿刀田高さんです。「旧約聖書を知っていますか」を買ってきて、恐る恐る読み始めたところ……読める、これなら読める! エサウとヤコブの物語も爽やかに描かれているし、ヨブ記の解説もある。もやもやが晴れまして、気分爽快です。私にはこれくらい楽しく読みやすく書いていただかないと、とても手が出ません。

とりあえず、聖書を読めない理由が悪霊ではなく私の無能だったことがわかり、これもホッとしました。

聖書 新共同訳―旧約聖書続編つき 奇偶 旧約聖書を知っていますか

ちなみに阿刀田さんの本は、こんな感じ。

古い時代には、レビラート婚の習俗があって、イスラエル民族もこれを堅く守っていた。レビラート婚とは、子なくして死んだ男の兄弟は、残された妻をめとって子を生ませる義務がある、という制度である。太郎が子どものないまま死んでしまったら、次郎が太郎の未亡人と寝て子を授け、太郎の血筋を絶やさないようにしなければならない。オナニーの語源となったオナンも旧約聖書の登場人物で、彼は子なくして死んだ兄のために、兄嫁と交わることになったが、

――俺の子になるんじゃないから、種が損しちゃうな――

自分の種を地に流してしまった。けち。なにがそんなに惜しいのか。正しくは自慰ではなく、膣外射精だったろう。つまりレビラート婚にさからったわけであり、そのため神はオナンを殺してしまう。それほど重い掟であった。

あははは。さっぱりとした語り口で、とんでもない(と現代の日本に暮らす私には思われる)ことをどんどん書いていく。ユーモアを積み重ねながら、少し考えさせられるところへといざなわれていく。

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