趣味Web 小説 2006-04-18

書籍の価格

森博嗣さんの日記が面白く、いくらか過去ログを遡って読んでみた。どうも私は、誉めるのは不得手なので、以下はまあ、いつもの。

映画でもドラマでも小説でも、作者の提案する「世の中、もっとこうすればよくなるのに」という提案について、私は「副作用がなければ、それでいいけどね……」とげんなりすることが多い。

ハードカバーが出てから通常3年ほどすると文庫になる。ノベルスは2年ほど経ってから、が普通らしい。(中略)一番良いのは、最初から3つを同時に出すことだ。外国ではペーパバックは同時に出る。別に特殊なことではない。それがごく普通の考え方だろう。もちろん、そうなった場合には、もう少し価格が接近するものと思われる。

具体的なデータを持っていないので、あちこちで目にした話を又聞きで書くだけなのだけれど、出版点数が減っていいなら、この主張にも利があるのだろうな、と。世の中、たいていの本は文庫化されない。1200~2000円で数千部発行して、収支トントンというミドルクラスの本を、500円で文庫形態で売ろうとしても、元が取れない。安くした分だけたくさん売れるというものではないから。

売れる作品が最初から廉価版で出てくると、中堅の作品群が、少量を高値で販売する領域へ押しやられてしまう。「売れる作品は、3年待てば安くなる」「売れない作品は、何年待っても安くならない」とりあえず、最初は同じくらいの値段でミドルクラスに勝負させてあげようよ、ということなのだと私は理解しています。アメリカの文芸作品のカタログは日本と比較して貧弱なのだそうです。森さんのように売れる作家が、最初からペーパーバックで本を出すので、そうなってしまうのも当然だとは思う。

あまり関係ないけれど、新聞休刊日に号外を戸配した朝日新聞月に一度あるかないかの休刊日に恋人と逢う事だけを糧に毎朝暗いうちからの労働に勤しむ若者たちのことを私は想い拳を握りしめたのであるといって怒った勝谷誠彦さんが、新聞休刊日の横並びに怒った矛盾をなんとなく思い出しました。何が矛盾なのかというと、新聞社毎に配達員が異なるのは全国でもごく一部の地域に過ぎず、大半の地域ではひとつの配達所に複数のメジャー紙が乗り入れているからです。一紙だけ休刊日となっても休めないわけ。

東京へ出てきて、「読売新聞でーす」なんて人に出会ったのだけれど、千葉県成田市某所では「新聞でーす」でした。「産経から毎日に変えませんか?」「今度は読売、どうでしょう」なんていう。配るのは同じ人なんだけど、新聞を変えると「新規顧客を開拓した」ことになって、キックバックが少しあるのだそう。購読者もその都度オマケがもらえるので、近所の人は3ヶ月ごとに新聞を変えていたものです。

私は勝谷さんの無知に暗然としたけれど、世の中、こうしたことは多い。森さんも、売れない作家のことなんか気にしていない。単に知らないだけなのか、「売れない作家は兼業作家になればいいじゃない」とお考えなのか。……なんて書く私自身、先に述べたとおり、きちんと事実を踏まえて書いているわけではないのであって、「物いえば唇寒し」だな、と思う。

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