趣味Web 小説 2006-04-24

悪癖

というか、情報もないのに先入観に基づく憶測でガンガン盛り上がり、多少の否定的情報は「信じられない」として受け入れない、そして(常識的には)決定的といってよい否定情報がもたらされると、ようやく沈静化する。そのとき誰も何ら反省の弁を口にすることなく、「そもそも疑われる奴の日頃の行いがいけないんだ」と愚痴る。それがブロゴスフィアの現状なのであれば、改善の余地は十分にあると私は思う。

典型的な事例だから何度も例に挙げるけれど、avex 社長の家族に対する殺害予告事件は、自作自演の線で盛り上がった。犯人は2ちゃんねらで、逮捕もされたのだけれど、あらぬ疑いをかけていた人の中で、きちんと謝罪した名無しさんを私は知らない。ハンドルネームで活躍されている方でさえ、頬かむりしている人が少なくないし、明確な証拠もなく書きたてた疑惑ときちんとつりあう謝罪をなさった方はたいへん少ない。

私は essa さんは立派な方だと思っているが、その essa さんでさえ、ホリエモン偽メール事件に関して「堀」「掘」誤報の件検証にあるとおり、若干の反省点がありますが、それ以外には、プロセスとしては問題が無かったというのが、今回の件についての私の結論と総括されている。現実問題、こんなものだろうな、と思う一方で、釈然としないのも正直なところ。

で、例えば件の2ちゃんねらが、かつて文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたという報道が誤報であった教科書検定誤報事件について、訂正や謝罪をろくに出さなかった報道機関を口を極めて罵る。産経新聞が南京事件の犠牲者数には厳格な検証を求めるくせに、天安門事件については不正確な報道をし続けている、文革の犠牲者数を最大限に見積もって当然という顔をしている、そのあたりと同じく奇妙だ。

essa さんは、新しい(?)価値観に共感するところが大きいようなのだけれど、私はどうも……。報道を信じないことは、とりあえずよしとして、そういう自分が信じているのは何なのか、そこが気になるわけです。無根拠な思い込みを経験的直感として誉めそやすのは、怖い。漠然とした不信は、漠然と表明されるべきだと私は思う。

陰謀論や憶測が戦わされているときに一番盛り上がり、事実が出たら白けてしまう、これが悪癖でなくて何なのか、と。

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