趣味Web 小説 2006-05-24

橋下徹さんの怒りが導くもの

自分に火の粉が降りかかると、突然に怒り出す。さらに「あいつだって」風にも読める文章を書きなぐる。

橋下さんが不正確な報道に怒った気持ちはわかるが、記者だってリークされた情報をむざむざ腐らせるわけにはいかないことを理解していいと思う。記者の態度の悪さを責めてもいいが、結局は有象無象のマスコミに向けてファックスで見解を送付する羽目になったわけで、取材拒否は失敗だった。電話を掛けてきた人物が信用できないなら、産経本社を経由して電話を折り返せばよかった。なぜ取材される側がそこまで……と思うだろうが、権力を相手に意地を張ってどうなるというのだろう。

また橋下さんは報道に対する怒りから転じて、予断と偏見に満ちた公務員批判をバリバリ書いているのだけれども、相手側の言い分を僅かでも取材しているようには読めない。批判の対象を曖昧で大きな集団として責任逃れをしているだけの話で、不当に公務員の印象を貶める発言をして恥じないのは、とりあえず電話は掛けてきた新聞記者にも劣る所業だ。新聞報道と比較して単なる個人のブログは……と言い訳してもいいが、橋下さんはテレビでもブログでの発言と大差ない放言を繰り返している印象がある(と、私も放言しておきます)。

あまり関係ないかもしれないけれど、オウム真理教がテロ事件を続発させていた頃、オウムにきちんと取材してオウムの言い分も両論併記していた報道機関が叩かれた。何が真実かわかりもしない段階で決め打ちの報道を視聴者が求めたわけだ。あるいは耐震偽装事件ではヒューザーの幹部社員がたくさん偽装マンションに暮らしていて、大々的な組織的詐欺ではなかったことは最初から明らかだったのに、なぜか視聴者の期待する報道が延々と続けられた。JR西日本がレールに砂利の粉砕痕があり、置石の可能性もあると発表したら「責任逃れ」というコメントとセットで報道された。「可能性」はあったろうに。

(実態はどうだか知らないが)庶民にエリート視されている著名な弁護士さんが修正申告したという話題を「橋下弁護士、申告漏れ 税法…詳しくなかった?」と茶化す報道、これも国民の求めるものだったのだと思う。今回は報じられた「事実」の中に誤りがあるという話なのだけれど、橋下さんが許せるらしい日経の報道でも修正額は2004年までの3年間に約2500万円追徴税額は過少申告加算税を含め約1000万円となっている。産経報道の問題点はタレント活動に必要などとして、経費請求した飲食代などの一部という記述に限定される。

これが当人にとって大問題なのはわかるが、飲食代で経費性を否定されたものは、3年間で約87万円であり事務所収入に占める割合は、0.24%と橋下さん自身が認めている通り、飲食代も含まれていないわけではなかった。この手の「面白そうな部分を針小棒大に報じる」やり口は世の中にあふれている。それを支えている社会構造が、まさに橋下さんが不用意に公務員批判をぶつ心性と相似形だと橋下さんは気付かれない。

自分が痛い目にあってさえ、人は他人の痛みを理解できない。

追記

2006年7月8日、産経新聞社は朝刊社会面にて、以下の訂正記事を出した。

訂正:5月23日付「橋下弁護士申告漏れ」の記事中、領収書がないなど実際に支払いがあったか確定できなかったものとして「タレント活動に必要などとして、経費請求した飲食代などの一部について」とあるのを「経費請求した一部について」と訂正します。

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