趣味Web 小説 2006-06-06

つつましく生きる

1.

私たちが生きていくコストの大部分は、社会的な関係を維持するために使われているのであって、だから、そういう諸々の関係性から降りて、一日中部屋に籠もってTVをぼんやり見て、ただ「生存」するだけだったら、そんなにお金は必要ない。

職場と家を行き来するだけなら、お金はかからない。

だから年収300万円ちょいちょいでも、貯金が1年に100万円以上増えていく。物価の安い田舎じゃないよ、山手線の内側で一人暮らしして、この結果。バス・トイレ・エアコンつき。しかも古書店が近いので本は好きなだけ読めるし、何の不満もない。

そういえば1ヵ月半もの間、一度も外食していない。コンビニ食(=惣菜パン+飲み物 といった無調理食)もない。確実に自炊していれば食費なんて安いもの。

家計簿をつけてみると、私が徹底的に人付き合いを避けていることがよくわかる。一度も外食をしていないということは、休日に遠くへ出かけることが全くないことを意味する。弁当箱は持っていない。ちなみに入社後4年余りで、手許にある自分が写った写真は4枚しか増えていない(更新された免許証を含む)。

これは極端なのだけれども、ふつうの人は100万円も貯金しないだろうから、そこそこいい生活ができるはず。それくらいで満足しようよ、と私はよく人にいうのだけれど、友達に金持ちが多いとプライドが邪魔をするらしい。可哀想にね、とお互いに思っている。

現代の日本では、家から社会へと押し出すには、かなりのお金が必要であって、だから、裕福な家庭よりも貧しい家庭の方が若年無業者を生み出しやすいということも十分にあり得るし、実際に、低所得層な若者の方が、家から離れられないという状況もある。

そんなわけで、この結論にはあまり同意できない。仕事をするだけの社会的な関係に、大したお金はかからない。ただ、仕事をしなくてもあまり困らないという状況は理解できる。

というか、高度成長期、みんな貧乏だったのに専業主婦がどんどん増えたのは、奥さん一人養うのにそれほどお金がかからなかったからだ。そして仕事なんかしたくない人が世の中にたくさんいた。その後、給与が増えていったのに共働きが再び増えたのは、貧乏生活が嫌になったから。私の両親が結婚したのは78年頃なので、アッサリ仕事を辞めて何の後悔もなく、「お金には困っていない」のでパートに出ることもなかった母は古風かな、と思う。

60年代に貧乏サラリーマンの専業主婦におさまるより現代の若年無業者の方がいろいろ恵まれている。だから、つまらなくて薄給の仕事を続けられない人の気持ちは判る感じがする。バイトをいくつかクビになっただけでめげちゃう学生とかもね。少なくとも異常なこととは思わない。

2.

かつて私の両親はフォスターペアレントをやっていて、貧困国の少年たちの就学を支援していました。一応、私の小遣いの半分がそれに使われているということになっていて、だから被支援者の少年が送ってくる手紙には、私の名前が書かれていました。「**様、いつも温かいご支援ありがとうございます……」

強く印象に残っているのはネパールの少年です。私よりふたつくらい年上。ひょろひょろで背が高く、いつも小さな母親を大事にする孝行息子で、大勢の弟や妹の面倒をよく見る優しいお兄さんでもあったという。最初は字が書けないので現地ボランティアの聞き書きが送られてきました。その次は幼稚園児の描いたような絵。それが次第に小学校1年生のような絵手紙となり、小学3年生の作文くらいまで成長しました。結局、支援事業は失敗し、彼は学校をやめて農業に専念することとなるのです。そのとき、私はまだ中学1年生。

「これまで**様のおかげで学校に通うことができ、文字や数字を知ることができました。絵を描くことも知りました。どうもありがとうございました。**様には言葉でいいあらわせないくらい感謝しております。(以下略)」

淡々と運命を受け入れた彼の手紙に悲壮感はなく、ただただ感謝の言葉だけがありました。彼は字を覚え、絵を描くことを知ったけれど、結局、それらと無縁な世界に帰っていきました。紙も鉛筆もない、誰も字を読めない家族と暮らしていくのです。では全部、無駄だったのか。そうではない、と私は思いたい。

彼の本音は知らない。大勢が読む手紙です、カッコつけだったのかもしれない。それでもいい。

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