趣味Web 小説 2006-06-28

「骨泳がし」テレビ放映問題・雑感

ジワジワきてるな、と思っていたが。とうとう議論になるほど賛否が拮抗するようになったか。しかしまあ、数十年かけての価値観転換には違いない。……と思ったら、こんな一節が。

今回の件に関する批判は高齢者に多いとのことなので、主婦や高齢者を対象とした健康情報で人気の長寿番組としては、配慮が足りなかったかもしれない。

え~っ!? しばし呆然としたけれど、そうか、60年安保世代が高齢者になり、テレビ局に抗議するほど暇になったということか、と納得。

こうして名人芸を手軽にテレビで鑑賞できる時代が終わり、私が死ぬ頃には正規ルートで神業を収めた映像を入手できなくなるのだろうな。「骨泳がし」のすごさを全国津々浦々に伝える価値は、魚の生命の尊厳が云々といった問題を超越している、と考えているから、個人的には残念なことになったと思っている。

私の中では、「骨泳がし」の許容は闘牛や盆栽を OK と考えることにつながっている。人は自分の楽しみのために他の生物の生命をもてあそぶ。みだりにそのようなことをしてはいけない、という倫理規範には存在価値を認めるが、むしろその濫用が長い時間をかけて多くの人々が育ててきた文化を破壊していくことを危惧する。人間様の「文化」の方が大切だと思っている。

まあ、もともと見たくない人もいる映像ではあったろう。どちらが我慢するべきか、という問題なんだ。「見たくない人がいるから放送するな」という主張は、「見たい人が見られなくなる」ことについて、どう考えているのか。その点に配慮した主張が、たくさんあるコメントの中にひとつも見られないのは不思議。

昼に放送したからいけない、深夜ならいい、という意見も。どうして深夜ならいいんだ。深夜にだって「うわキモい!」「グロい!」という人はいるだろうし、「食べ物を粗末にしやがって」と怒る人もいるだろう。自分がテレビを見ない時間だから? それとも抗議する人の割合はどうでもよくて、絶対数だけが問題なのか?

あと、いつもいつもいつもそうなんだけど、自分がこう思った、という感覚の一般性を疑う人って、やっぱり少ない。どうにかならないのか。

イタリアのルールはイタリア人が作ればいいよ。日本のルールは日本人が作る。さて、日本で生きたロブスターを氷の上に載せて展示することが違法行為となるのは何年後だろう? それとも、どこかでこの価値観転換に歯止めがかかるのだろうか。

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