趣味Web 小説 2006-08-19

靖国神社と国立追悼施設 雑感

1.

2回目の参拝の時の所感の中では、総理は、終戦記念日やその前後の参拝にこだわって、再び内外に不安や警戒を抱かせることは、私の意に反するとしていました。今日の参拝は、その所感と矛盾するのではありませんか。という記者の質問への回答は、ちょっとよくわからなかった。

私なりに言葉を補って解釈すると「『終戦記念日を避ければ内外の反発がない』のであれば、別の日に参拝してもいいと思った。しかしいつ行っても変わらぬ反発を受けた。よって『終戦記念日を避ければ内外の反発がない』という仮定は不成立と判明したので、終戦記念日に参拝することにしたのだ。よって矛盾はない」ということか。

質問した記者さんの考えは「いついっても反発があるなら、参拝しなければいいのに」なのだと思う。

私が靖国問題で一番注目しているのは、「**する自由」を「**されても具体的な被害は何もないけれど、とにかく嫌だと思う心」によって押し潰そうとすることに、多くの人々が賛成していることだ。

かつてパナウェーブの人たちは、「気持ち悪い」ので粗捜しされ、難癖つけられて社会から排除された。県庁や市町村の役人は地元住人の圧力で公道の通行さえ阻止しようとしたけれど、さすがに警察はそれを許さなかった。私はそこに法の良心を見たのだけれども、一般市民は法のふがいなさを嘆いた。

靖国参拝に賛成でも反対でもそれはいいのだし、現に小泉さんの参拝が実力で阻止されるような事態にもなっていない。だから私は今のところそれほど深刻な話にはなっていないと認識しているが、「将来、どうなるかわからんね」とも思う。大半の日本人は信教の自由を真剣に守る気なんてないからなあ。

正直、小泉さんが本当に「心の問題」で参拝しているとは思ってない。でもそういった話には、関心ないな、私は。将来、それこそ純粋に「心の問題」で靖国参拝を希望する人が総理になったらどうします? それをいいたいのですよ、私は。

2.

「もう浮気はしません」といって再選されたアメリカのクリントン前大統領が「家族を愛するよき父親であろうと努力する」のは公的な行為なのだろうか。「クリーンな政治家」を標榜して当選する人は多いが、「公約」とは職務として行う何事かだけではなくて、私的な言動をも対象として用いられることがあると思う。

つまり、「私は終戦記念日に靖国参拝するような人間です」といって自民党総裁になったのは事実だとしても、「政策として靖国参拝を実行します」とはいっていない。それでも靖国参拝は公約たりうるのでは? 公人・私人とは、そのような区別が可能であるという前提に立った言葉なのだけれど、その境界はよくわからない。職務として参拝したのではないとする小泉さんの説明は、なかなかうまいと思う。

もちろん靖国参拝は現に政治問題化しているので、「私的行為だから自由だ」といって突っぱね続けられるのか疑問はある。しかし気に入らない言動を封じ込めるために「政治問題化する」ことが可能である以上、「政治問題になった」からといって問答無用で個人的信条が曲げられていいとは全く思わない。

政治的責任と法的責任について。う~ん、ちょっと保留させてください。

3.

昭和57年4月13日の閣議決定が政府主催の公式行事である全国戦没者追悼式の根拠となっているのだそうだ。

そんな行事、あったっけ? という読者もいらっしゃるかもしれないけれど、NHK が中継しているので、小学生の頃に一度くらいは見たことのある人も多いのではないかな。正午に黙祷する、アレです。民放のニュースでも必ず(でもないか?)「天皇陛下のおことば」を放送してる。例年、この式典で陛下が発する「おことば」はたいへん短い。ニュースにピッタリなんだね。

靖国神社は英霊しか祀られていないけれども、追悼式では基本的にどんな死に方をした人も身分に関係なく分け隔てなくお祈りを捧げてくれるのだそうな。その代わり、先の大戦で亡くなった人だけしか追悼してくれない。どうせなら過去から未来までみんな追悼したらどうかと思うけれど、趣旨が不明確になると予算獲得が難しくなったりするのだろうか。

ところで、件の閣議決定には全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。とある。日本武道館が会場として指定されているんだね。

追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会報告書施設は大型の建造物ではなく、むしろ住民が気楽に散策できるような明るい公園風のスペースで、かなり大規模な集会ないし式典ができるような広場が在り、その一角に追悼・平和祈念にふさわしい何らかの施設が在ることが望ましい。としているのだけれど、それなら日本武道館のある北の丸公園に戦没者追悼慰霊碑をひとつ立てるだけで足りそう。

靖国神社の経営が危うくなっているように、靖国に思い入れのある人々は既に少数派となっているが、まだまだ無視できる人数ではない。既に25回も続いている全国戦没者追悼式の拡張といった形で、ささやかな事業費(高々数億円)で簡素な追悼施設、具体的には慰霊碑をひとつ立てる程度の計画を落としどころとすれば、八方丸く収まるのではないか。

4.

不掲載となった記事を記者ブログで公開した福島さん。もともと人気のあるブログだったけれど、この記事が話題を集めて一時期は記者ブログで1番人気にまでなった。コメント欄の反応を見ると、不掲載の判断は正しかったのかな、とも思う。一定数の読者が興味を持って読んでくれたとしても、こんなことで苦情の手紙がたくさん届いたのではたまらない。

産経で没になった原稿の公開といえば以前、佐々木俊尚さんが「波紋を広げるカカクコム問題」にて行っている。今はまだ、新聞社が載せなかったというあたりで話題になったりしているのだけれど、記者ブログがどんどん広まっていくと、珍しいものでもなくなるのだろうな。

自然に受け入れられている例。まあ「全文掲載はスペースの都合で不可能」だから抄録が記事になったというケースなので、少し質の違う話ではあるのだけれど。

5.

麻生私案には納得できる。finalvent さんのご懸念も経営的ジリ貧状況を背景とする自主解散という選択肢によって現世的都合を通す道筋を示しているのがいい。無論、靖国神社は「死ぬまで戦う」に違いなく、つまり麻生さんの願い虚しく今後数十年、現状と大差ない形で存続しそうなのですが。

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