今日のフジテレビ「類人猿ボノボ・最後の楽園」は内戦に苦しんだコンゴの人々の暮らしをリポートしながら滅びゆくボノボの様子を断片的に紹介していく内容。ガチャガチャと未整理な印象のドキュメンタリー番組だったけれども、どうして先進国の人間は野生動物やジャングルが滅び行く姿には胸打たれるくせに、牧場や畑に残酷さを感じないのかな、なんてことを思いながら見ていた。
両親を失いつらい生活を送ってきた少女が、貧困の充満する街の真ん中で、将来は子どもを産んでお母さんになりたいといい、岩崎ひろみさんがそれを聞いて「いい家庭を作りたいんだね」と日本語でつぶやいた。そんな解釈でいいのかな、と疑問を感じたが、さりとて私が何を想像できるわけでもなかった。ひとつわかっているのは、私がその少女のために何もしないということだけだ。
ようするに、殺し合いをしてでもイスラエルを中東から追い出したい人々がいる。逆にそうした人々と戦い続けてでも神の約束された土地に暮らしたい人々がいる。だから惨劇が繰り返されている。
放送は見ていないのだけれども、これで小学生が「そうか、納得」となるのかな。ならないだろうな。
私もなかなかわからなかった。中東問題がニュースになるたび「喧嘩しないで仲良くすればいいだろうに」と思ったし、そう口にもした。母は冷めた人だったので、「お前たち(注:私と弟)がしょっちゅう喧嘩しているのと同じだよ」といった。「うーん、でも殺したりはしないよ」と私。「たかがお菓子の取り合いで取っ組み合いをするのだから、家と土地を奪われた恨みで人を殺してしまうくらいのことはありえると思わないかい?」母の問いかけに、私は沈黙した。でも、釈然としなかったな。
まあ、あやふやな考えしかもてない人間の素朴な平和主義では、世の中ちっとも平和になりそうもないなあ、とは思ったものだった。そういえば、父は口喧嘩では母に決して勝てないのに、母は時々意地悪になって既に勝った話で追い討ちをかけた。父は怒りに震えたが、いつも全てを堪えて自分の部屋に帰っていくのだった。私も弟も、その背中から何かを学ぶのに10年以上を要した。
「どうしてお父さんは怒ってもお母さんを叩いたりしないの?」「私が選んだ人だからよ」かつてこう答えた母は、今ならどう答えるだろうか。大きくなった私に、もう本音はいえないか。
「CASSHERN」という評判の悪い映画があるのだけれど、私は人がいうほどひどいとは思わなかった。ベタを突き抜けたような終盤の演出にはさすがに軽い衝撃を感じたけれど、スタッフロールの背景に流れる宇多田ヒカルの歌が世界への諦観にあふれていて、「ああ、そういう物語だったのかな」と。それで納得しました。