ふつうは確率分布のようなものを考えるのではないですかね。「ある状況において、私が行動Aを採用する確率は**%、行動Bの確率は**%、非常に確率は低いが行動C~Zもありうる」みたいな。自由意思といったって何でもアリというわけじゃない。所詮、人の思考なんて確率分布に絡め取られている。
これはつまらない世界観ですけれども、「特定の状況下で100%の確率で**するなんてことはありない」ということで、もっとつまらない最も単純な形式の運命論は退けられるのでは。また明らかに経験則に反する自由意思の正体は純粋乱数
という説も却下されます。人の行動はある程度、予測可能なんですね。
私は素人レベルではこれくらいの理解で十分だなあと思って、哲学のお勉強をやめてしまったクチです。結局、自由意志が何なのかはわからないのだけれども、ヘンな仮説を批判することだけはできる、と。てか、それって嫌な奴になっただけじゃないか。
そういえば哲学の入門書といえば永井均さんと相場が決まっていますが、永井さんの大学での講義は驚くほど眠かったことをよく覚えています。あんまり眠いので内職することにして、永井さんの著書を永井さんの講義中に読んでいたという……。結局、馬鹿馬鹿しくなって受講届けを出さず、聴講扱いということに。
ようは聴講ですらなくて、毎週定時に永井さんの本を読む時間を作って時計代わりに講義に出席してただけというか。おかしいのは、休講になると永井さんの本を読む気もなくしてしまうこと。そんな空き時間には筒井康隆全集などを読んでました。
「<子ども>のための哲学」が指定教科書。買わなくてもいいという話だったような。だから生協の教科書コーナにはおいてなくて、つい間違って「子どものための哲学対話」を買ってしまったのも、今になってみればいい思い出ですね。そのときは悔しく思ったけれど、1ヵ月後には他の著書を何冊も買っていて……。