yahata さんのブログを読みながら、思い出したことをいくつかメモ。
追試験について「本試と同じ」とだけ書いたら、形式と出題範囲だけでなく、問題まで同じと勘違いされた、という話。でも本当に本試験と同じ問題が追試験で出題された事例を私は知っていますからね……。
講義の最終回が試験の場合、「答え合わせ」がないから、同じ問題でも追試験の意味があるわけです。お勉強して解けるようになればそれでいいわけなんでありまして。まあ、たいていの科目は追試験なんかありませんでした。落ちたらそれまで。私の場合、選択必修の電磁気学だけ2年続けて受講しました。
試験前になると乱れ飛ぶ噂話について。
私はノートを貸すことはあっても借りることはないマジメな学生(=皆勤賞)で、座席も前から4列目までに座ることが多かったから、先生に顔も名前もよく覚えていただきました。だから試験後の長期休暇中に廊下で先生に会ったりすると、「試験のとき体調でも悪かった?」と訊ねられることもしばしば。
教養科目を必要数の数倍も受講し、そちらで大量に優を稼いでいたから平均の成績はよかったのだけれども、選択必修科目には「可」も結構ありました。「良」はふつうに多くて、「優」は取れたら嬉しいという感じ。選択といいつつ、ひとつでも落とすと卒論が仕上がらない場合に卒業できなくなってしまうので、事実上の必修でした。だから得意分野でなくても受講しなければならず、苦労したことを覚えています。
「不可」になると受講記録自体が抹消されるので、「優」をそろえることに執心している学生の中には、「ちょっと自信がないな」となると試験日に欠席し、意図的に「不可」を取る、なんて人もいました。ところが出席点で「可」になってしまって泣きを見たケースもあるとか……。
本当に信頼できる受験情報を発信できる人ならば、ちゃんと受験産業で働いています。だって、それが一番儲かりますから。
そりゃそうですよね。けれども私もこの件に関しては苦い思い出があって、塾でバイトをはじめてしばらくの間、なんでテキストがこんなにつまらないのか、と思って自分でプリントを作ったりしていたわけです。我ながらアホだったな、ということを1年も経たずに思い知らされることになりました。
向山型算数の考え方に蒙を啓かれたのですが、かつて悪本中の悪本と思っていた文部省検定教科書がどれほどよくできているか、全ては教師の実力の問題だったのだ、と実践の中で気付かされていった、衝撃的体験は忘れ難いですね。(……なんて書かれても読者にはさっぱりわからないと思いますが)
そういえば、オチまでわかってからじゃないと本を読む気がしなくなったのは、大学時代以降に強まった傾向のような気がします。私の場合、映画も推理小説も、先に全貌を知っておきたいのですね、少なくともオチを示唆する情報はほしい。他人にはあまり理解されない感覚のようですが。
そんなわけで、この紹介文とか、わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるの記事は私にピッタリ。といいつつ、紹介されている本を実際に読んだためしがない。積読になっている本や、もっと優先順位の高い本が多すぎて……。
オンラインDVDレンタルの予約リストが200本の上限に達し「どうしてたった200件なの?」と思ったり、Amazon の買い物かごに100冊以上の本が登録されていたり、古書店へ行くとついつい20冊、30冊も買ってしまったり。どう考えても時間の制約上、そんなに本を読めるはずがない、映像を鑑賞できるはずがないのに。
高校時代までは、むしろ暇を持て余していたはずなのですが、大学時代に何かが切り替わり、社会人になって箍(たが)が外れた感じです。