趣味Web 備忘録 2006-12-02

「猿の惑星」シリーズ 私の解釈

1968,70,71,72,73年に製作された「猿の惑星」旧5部作をやっと見ました。面白かったなあ。

以下、ネタバレ。というか、ストーリーの解説みたいなのを書きとめておきたい。この旧5部作については、やたら「矛盾」とか「続編は蛇足」といった指摘が多いのだが、第2作を作り、あんな物語にしてしまった以上、第3作から第5作までの展開は予定調和といってもよい内容だったと私は主張したい。

第1作は日本でたいへんヒットしたそうで、「劇中の猿人ってのは日本人のことなのに、あんな国辱映画を歓迎した日本人はどこまで奴隷根性が染み付いているんだ!」なんて怒る知識人がいまだにいたりする。2002年のティム・バートン監督による新作が話題になる前から、私が旧シリーズをいつか鑑賞したいと思っていたのは、そのため。

で、実際に見てみて分かったのは、単に見た目が類人猿なだけで中身は人間と同じと見える猿人たちは、しかし「猿人は猿人を殺さない」「猿人は自滅を招くほどの環境破壊をしない」といった点で倫理的優位を誇り、人間を蔑んでいるという設定が強力に打ち出されていることだった。68年といえば公害問題真っ只中だし、戦場にいた人々がまだ中年だった時代。この猿人たちが日本人のワケがないだろう、と。

第1作の主題は文明批判であり、強いていうなら足るを知らなかった人類へのカウンターなんですね。第2作では猿人の知性はゴリラ族に仮託された俗物性で打ち消され、しかも結末は第1作のラストで悲嘆に暮れたテイラーの感情的な行動によって地球が消滅……。リアリティのある理想と極端な現実、みたいな正続編。

第3作は地球消滅の衝撃で過去に戻った知性ある猿人夫婦の悲劇譚。じつはここで歴史が変わってしまう。

猿人の歴史学者コーネリアスの語るところによれば、元々の歴史では、類人猿が人と共に暮らすようになってから言葉を覚えるまでに2世紀を要したとのこと。それからようやく猿人が反乱し、核戦争によって文明が消滅、猿人は文明を再建したが、人類はそれっきり言葉と精神文化を失うことになる。第1作の舞台は西暦3900年代半ば。第1作に登場した猿人社会の聖書が成立したのはその後の時代ながら、聖書は猿人文明は2000年前に始まったと記している。

ところが第3作で未来から進化した猿人が1900年代に現れることにより、第4作では21世紀を待たない1991年に早くも猿の反乱が起きてしまう。その十数年後、つまりちょうど今頃を描く第5作では、前作の後であまり時間をおかずに核戦争があって、少なくともニューヨーク周辺では人類の文明が崩壊、より多くが生き残った猿人が主流派となっていることが示される。さらに第5作の冒頭と結末に登場する約600年後の2670年には猿人と人類は対等の立場で人数もほぼ同等の状態で共存している。

そして1991年に人類の文明がなくなってしまう都合上、第2作で世界を滅ぼしたコバルト爆弾や気持ち悪い超能力者は、第3作以降の改変された世界には存在しない。

旧5部作は、3→4→5→1→2という時系列だと思っている人が目立つが、大間違いだ。劇中でも強調されているように、未来は選択できるというのが作品の基本設定であり、「サマータイムマシンブルース」のような世界観とは条件が異なる。そもそも、過去を改変すれば新しい未来が生じるという設定でなかったら、初代進化猿人の両親が未来からきた進化猿人の子孫だなんて物語は、タイムパラドックスの罠にハマる。第4作の終盤、ふつうのチンパンジーの一匹が進化猿人に触発されて言葉を発する。十数年後を描く第5作では全ての猿人が人間並みの言語コミュニケーションを取っている。

つまり未来世界で猿人が人並みの生活をしているのは、生物学的な進化によるものではないのだ。ていうか、未来からきたのはチンパンジーだけなのに、未来世界ではゴリラとオランウータンも文明社会の一員となっているのだから、血筋の問題じゃないことは分かりきっているのだ。

分かりきった話といえば第1作のラスト。衝撃を受けたという人が多いのだが、宇宙人が英語を話す時点でおかしいではないか。自動言語翻訳機を持っているような高度な宇宙人ならともかく、前近代レベルの文明しか持っていないことは一見して明らか。こんな「出オチ」を何とも思わない観客のセンスが不思議。

あと宇宙に感心の深い人なら、大気組成が地球そっくりという時点で「それって……」と冒頭で分かってしまう。

何かと評判の悪いバートン版だけど、いわゆる「SFとしてよくできている」のは新作の方。主人公が墜落した「猿の惑星」は衛星が2つあり所属する恒星系の様子も異なるから「地球ではない」とわかるし、ラストに辿り着く惑星は宇宙からハッキリ見えるアメリカ大陸から地球であることがわかる。セード将軍の部下が沼に沈んだ宇宙船を発見する描写もある。話のスケールも理屈の通るサイズにまとまっています。

じつは旧5部作の中で、猿人が本当に地球全土で人間を支配しているという描写は全くない。徹頭徹尾、アメリカ北東部の海岸付近だけで話が展開しているのです。第2作では領土拡張のためには核汚染された禁止地帯へ進出する他ないとされ、第1作でも禁止地帯の向こうにある世界は謎とされている。第4~5作でも、それは同様らしい。シリーズ全作を通して高々数千人レベルの人口でしかない猿人の街がたったひとつ登場するだけというスケール感の無さは異様。

現在の先進諸国の倫理観から考えて、人類の文明が残っているなら、汚染地域に取り残された人々を放置するわけがない。そう考えれば危険地帯の外側に文明が継続している可能性はないと判断できますが、世界地図の点みたいな場所に猿人の街があるだけの世界を「猿の惑星」と呼んでよいものかどうか。

バートン版はスタート時点の人口をごく少数に設定し、数十億の人類が一挙に文明を失う大法螺を回避してる。ま、それじゃあまりにも話がみみっちいと考えたか、馬鹿馬鹿しいのは承知でラストに「いかにも」な「猿の惑星」を一瞬だけ見せた。ワンシーンだけなら誤魔化せるとの判断か。

ようするにアレかな、SFはマニアのせいでタコ壺化してつまらなくなった、みたいな話か。旧作レベルのアホらしさが広く一般にアピールするには適当なライン、新作はマジメに作り過ぎてケレンが足りなかった、と。

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