またぞろ Yahoo ブログの転載機能批判である。じつのところえっけんさんの発言はまずまず穏当なのだけれど、その周辺で、ね。でもそのあたりにリンクすると面倒くさいことになりそうなんで、えっけんさんに向けて書く、というスタイルを採ります。これは信頼? 甘えかな。
リンクよりも転載を勧めます。
これが私のポリシー。そもそも文章の素材屋としてはじめたのがこのサイトだった。Yahoo ブログが私にとってもう少しストレスなく使えるサービスだったなら、私はとっくに移転している。
気に入ったサイトを何らかの基準で整理してリンクするだけで十二分に意義があり、とくに才能のある者の作成したリンク集には多大な価値が生じることを示したのが Yahoo ディレクトリの始まりであり、様々なリンク集文化の枠組みであった。
更新頻度も需要も減って今では見る人も少ないが、当サイト初期の人気コンテンツはサイト批評サイトリンク集だった。ページビューの過半がこのリンク集にあった。その頃、日々苛立っていたのが、リンク先の消滅である。転載さえ許可されていたらなあ……と悔しく思うことしばしばであった。
サイト批評「サービス」のリンク集だから転載しても意味がない? そんなことはない。私がひとつアドバイス記事を書くと、それを数百人が読んだ。往時はサイトの表紙より過去ログ集の方がページビューがあったくらいだ。サイト批評サービスの真の価値は、公開されている過去ログにある。実際に批評を依頼した数人だか数十人はコンテンツ作成の切っ掛けに過ぎない。
過去ログ非公開のサイトを転載する意味はないが、過去ログを公開しているサイトは全て転載したかった。それが可能なら、リンク集の価値は永続的になるはずなのだった。
今では廃れてしまった小中学生の「HP評価」ブーム、数年前には3日に1つは新規参入があり、同じペースで廃業も続いていた。毎月ふみコミュニティなどで数千件のインデックスを人力でサーチして新規参入を発見し、累計1000超のサイトをリンク集に書き加え、また削除してきた。
賽の河原で石を積むような作業である。大した法益もないくせに著作権法に守られることを選ぶ人々への憤りに震えたものだった。アッサリ消すようなものなら、転載したっていいじゃないか。しかし転載依頼のメールに返事が来るのは稀であり、たまに来る返信は「お断りします」と決まっていた。
「あなたのサイトに掲載しても数十人しか読まないことはカウンターから明らか。当サイトに掲載すれば数百人が読む。数年後には消してしまうなら、転載を許可してほしい」なんて主張は門前払いされた。そして彼女らは平均3ヶ月でコンテンツを刷新し、苦労ばかり多く見返りの薄い「HP評価」を過去ログごと葬り去っていくのだった。
個人ニュースサイトが典型的なのだが、ある種のリンク集によって、単独ではウェブの大海に埋もれていく他なかったコンテンツが、大きな価値を持つようになるケースが実際に存在する。私が手を入れていたリンク集も、そうした力を持ちつつあった。
私は自分でもアドバイスをしていたが、だったら他人のアドバイスの過去ログなんか転載する必要ないだろうとかそういう話ではないのだ。リンク集という編集成果物を経由することで、無名サイトの高々数十人にしか読まれなかった記事が、数百人の役に立つ、喜んで読まれる機会を提供することになる。
それが「編集」の力なのである。さして高度な話でもないと思うのだが、中間情報産業は世間に理解され難いらしい。個人ニュースサイトを毎日のように利用している人々でさえ、てんで理解していない。
「リンクでいいのになぜ転載?」って、そんなこともわからないのか。リンクするくらい手軽に何の障害もなく転載できるなら、私は全ての外部リンク先記事を転載してきただろう。私自身がそうであるように、他人様もまた、リンクしている側の都合なんか考えずにコンテンツを消すからだ。そうしてリンクした側の記事の価値を落とすからだ。
Yahoo ブログの転載機能は素晴らしい。転載ボタンひとつで自分の好きな記事をスクラップできる。そして自分がサービスを解約するか、Yahoo がサービスを終了するまでコンテンツを永続的に保有することが可能だ。事故でも起きない限りは、Yahoo が連絡もなしにサービスを終了するはずもないから、いよいよとなっても手許にログをダウンロードするくらいの猶予はあるだろう。
えっけんさんらが騒ぎ立てる懸念と比較して、このメリットは現にそこに存在する、確実で大きなものだ。少なくとも私の価値観においては、そう判断できる。
自分が利用したいと思わない機能を無価値と断じ、デメリットばかり言い立てるのは、私も身に覚えのあることだ。誰も完全には排除できない心性であろう。しかし私がそこから連想するのは、「ゲーム脳」なんてでっちあげにすがってまで気に入らないモノを世界から排除しようとする人々の姿である。行き着くところはそこなんだ、と私は思う。
えっけんさんは、どれほどひどい使われ方が横行していようとも、トラックバック機能そのものをウェブから排除すべきとはお考えでないらしい。人々の「善意」といって悪ければ「知恵」に期待し、正しい使われ方が世に広まる未来がありえるし、現に一部では正しく使われているではないか、と認識されている様子。
私はえっけんさんのいう「正しいトラックバック」だって馬鹿馬鹿しいもので、全てのトラックバックは手動の「逆リンク」と同様、管理人が精査し紹介する価値があると判断した記事のみ厳選して表示するようなものに限定すべきで、ならばリンク通知専用のメールフォームで十分だという思いを未だに捨てていない。
けれども世間の人々がこれほどまでに歓迎したからには、トラックバック全廃論などを唱えるのは、自分の美意識で世界が統一されねば気がすまない、身勝手な感性の暴露になろう。少なくとも現状の安直な全否定はありえないと考える。
転載機能も同様であろう。転載なんかして何が楽しいんだ? そうかアイツら馬鹿なんだ。だからこんなくだらないことをして喜んでいられるんだ。……これで問題が解決するか。本当に疑問が解消されたことになるか。ならないよ。断言していい。
他人の心なんて、理解できないよ。でも、最初から理解しようという努力もなしに、価値観の壁がもたらす諸問題をどうにかできるわけがない。「連中」は馬鹿で、あなたは頭がいいというなら、あなたが相手を理解し、歩み寄れる地点を探す他ないじゃないか。
長文を読ませておいて何だけど、1年半前に書いたこの記事の方が、よく書けているとは思う。
ただ、端っから「転載機能=悪」という認識で凝り固まって、粗捜し的な読み方しかしないような人の一部には、今回の記事の方が、ほんの少しでも胸に響くものがあるんじゃないか、そう期待して書きました。