Yahoo ブログの転載機能を積極的に擁護する私は、チェーン日記やチェーンメールの全否定論にも違和感がある。
いずれも何だか巨悪の温床のようにいわれるわけですが、何をもってして「チェーン」といわれるのか、といったあたりを考えるに、「コピー許可」「広めてください」この2点であろう、と。するとこれは学校の電話連絡網と同じであり、社内の通達とも形式上の違いがない。
私は「不幸の手紙」を悪と認識しますが、これは「チェーン」スタイルでなくてもよくない。チェーン日記で広まるウソと通常の口コミで広まっていくガセ情報にどんな違いがあるか? 善意のチェーン日記が支援団体の代表電話をパンクさせたなんて話もあったけど、銚子鉄道の騒動はチェーン日記抜きで起きている。
情報を扱う人々の賢さが急所、「チェーン」スタイルを反射的に拒否する感覚が大切なのではない。「コピー許可」も「広めてください」も様々な場面で(最適な補足ルールを付して)有意義な使われ方をされています。だから、そういう情報伝播手段はあっていいのです。
「コピー許可+広めてね」の「チェーン」スタイルは、バカな怠け者の背中を押す魔法の組み合わせ。でも所詮、「チェーン」スタイルを撲滅しても情報再伝達の最大の武器=口コミは止められない。愚かしい都市伝説や陰謀論の数々はどのように広まったか思い出してほしい。
私はチェーンメールを過去に1通しか受け取っていませんが、口コミで嘘っぱちを教えられたことは数え切れない。その発信源の何割かはテレビと雑誌。だからマスコミ批判の方が、まだしも有意義だと思います。
「チェーン」スタイルという形式に警鐘を鳴らすことを第一義とする活動には、違和感があります。やればいいじゃん反証実験(J2さん)に対して「デモンストレーションとしての反証実験で納得するような人はどうせ困った存在なんだ」みたいな感想を述べた人に近い感覚、かな。
こうした事例は(主張に賛同するしないは別として戦術自体は)許容できるのに「チェーン」スタイルなら入り口で拒絶、なんて感性を育てるのがリテラシー教育なのか? という疑問。
国会議員にメールを送ろう、チラシを配ろう、みたいな活動こそ、他人の善意を利用して悪意なきスパムをばら撒く典型例。違いますか? そして、こうした手法自体は正当なものなんですよ。単純な「チェーン」スタイルへの忌避感植え付けでは、ここで論理エラーになりませんか?
そして蛇足を承知で書くなら、世の中を見るに、Yahoo ブログの転載機能で誰かさんのアジビラを自分のブログにコピーするくらい、何が悪いのか、と。そしてアジビラのコピーを配布したがる人の気持ちが何故に理解できないか、むしろそのことの方が不思議。