趣味Web 小説 2007-01-09

「部分」を「全部」に読み替える

昨年の話題。

田中秀臣さんの近著「経済政策を歴史に学ぶ」への批判です。矮小化された「構造改革」への批判という文脈で大きな「構造改革」を考えていた先人の主張を読み直すのは、プロクルステスの寝台の故事と同様の誤りだ、と濱口さんは主張されています。

おことばではございますが、それはいささか道理がちがうのではないでしょうか。世の中、何事も様々な視点がございます。各種分類にしても、ある視点から見れば論敵と思えるものが、別の切り口では同じ船。あるいは仲間と見えたものが、よくよく見れば同床異夢。こうしたことはよくあること。そしてそうした別の見方の提示こそが、各種分類学や系譜ゲームの醍醐味かと理解しております。

さてそこから見れば、「リフレ史観」なるものは、そうした一つの見方の提示。田中氏とて、それしか見方がない、それだけが正しいなどと申しておるわけではいささかもございません。hamachan殿の見方(というのはよく存じておりませんが)を否定するものでもありません。とすれば、それが提示されたことは、新しい見方の登場として言祝ぐべきことでこそあれ、否定すべきものとは毛頭思えません。

私は山形さんのコメントに賛成です。ただ、濱口さんの気持ちはわかりますし、書かれた批判も有意義だったと思います。

例えば私は濱口さんの文章を読むまで、「構造改革」がマルクス主義の一派で、革命ではなく、漸進的に社会主義化を進めるという考え方を指す言葉だったと知りませんでした。また一部と全部の取り違えは珍しくなく、一面的な批判を「一面的である」と指摘すること自体は、社会に役立つ行為だと思います。

ここで注意すべきは、結局のところ「全部」を批判するなんて(人間の言語や認識の限界ゆえ)不可能だということ。それでも全肯定・全否定の需要は厳然と存在するから、仕方なく部分への批判を全部への批判に読み替える技術が必要とされ、みな無意識の内にこうした能力を身につけ日常生活の中で駆使しています。

濱口さんは田中さんによる先人への批判を長期的視野から資本主義社会、近代社会の有り様を深く、本質に分け入って考察した実績を近視眼的なものの見方で全否定するものと解釈し、社会科学系の歴史家の行為として誉められたものではないと主張なさいました。これはちょっとなあ……と思うので私は山形さんに賛同するわけですが、濱口さんの解釈も理解できます。

「部分」を「全部」に読み替えるような「無意識の働き」は、なければ不都合だけれど、ときにコミュニケーションを難しくするもの。四六時中、気にしているわけにはいきませんが、何か起きたときには「問題の発生源はここかな?」と探索してみるとよいでしょう。(って誰に向けて書いているんだろ?)

補記

1994年1月25日初版発行の佐和隆光「平成不況の政治経済学 成熟化社会への条件」(中公新書)には、以下の説明があります。

「変革」という言葉も「改革」という言葉も、ついこのあいだまでは、紛れもなく左翼用語のひとつと目されていた。たとえば「構造改革」とは、一九五六年にイタリア共産党のトリアッティがうちだし、六〇年代以降の日本やヨーロッパにおける社会主義運動にそれなりの影響を与えた、相対的には穏健な「革命路線」のことである。その意味するところは、資本主義の政治・経済・社会構造を部分的・計画的に改革することにより社会主義革命をなしとげようというわけである。「新前川リポート」(一九八七年)が、構造改革という言葉を避けて「構造調整」という言葉をもちいたのも、構造改革という言葉のもつ歴史的拘束に配慮してのことだと推察される。しかし、細川政権が誕生して後は、もはや「構造改革」という言葉は左翼用語ではなくなり、官庁用語のひとつとさえなったのである。

佐和さんが親切なのか、1994年当時はまだ、「構造改革」という言葉を留保付きで用いるのがマナーだったのか。「書いていないこと」を「わかっていないこと」と短絡する読者は困り者。けれども、そういう人は常にいるのだから、とくに誤解を招きやすい点は先回りしておくべきかもしれない、とは思う。

でも、「構造改革」と書くたびに留保をつけねばならないとすると、相当に面倒くさいよね。

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