成田山新勝寺は平将門の乱を平定するために西国から連れてこられた不動明王像をおまつりするための寺。現世利益追求の権化というか、その目的で建てられたお寺であって、今でも交通安全祈願専門のお堂があったりするわけなのですが……お坊さんの説話は明らかにそれと矛盾していましてね。
おおよそ苫米地英人さんの説明と同じ路線なんですね。つまり現世利益追求は御釈迦さんの主張と違う、と。ええ~っ!? てなもんです。マスコミもたいへんだけど、宗教の世界もたいへんだな、と今になって思う。教義も大切だけど、お札やお守りも売らなきゃ布教の拠点を維持できない。
でも、どうなんですかね。新聞は売れなきゃどうしても存続できませんが、宗教は身一つでもどうにかなるのではないか……いや、お坊さんも霞を食って生きていくわけにはいかないのですが。