趣味Web 小説 2007-03-21

そのようには生きられない・4

1.

一連の記事群へのリンクは末尾に。

3月8日に応答をいただいてからしばらく間が空いたのは、どうにも私の思うことをうまく書けなかったから。とりあえず以下の書きかけの文章をしまいこんでおくのももったいないような感じがするので、これを公開して、この話題は棚上げにします。

2.

左近さんが「人格」というキーワードを抽象的なレベルでどう定義されているかは、たびたびのご説明のおかげでよくわかったのですが、そこから具体例を引き出すことが難しい。私が「人格の否定ってこんな感じ?」と提示した事例がことごとく「それは違います」と退けられていますよね。

「えっ!?」と思ったのが、「女はやっぱり感情の動物だな。これだから困るんだ」というセリフの解釈。私が付した状況説明を斟酌して、かなり寛容な立場を表明されています。左近さんがそこまで周辺事情に配慮して判断を下されるならば、

知り合いが「あんたは天王星人だから人の話を聞かないで、話し下手なくせに自分の事ばかり話す」と言われて激怒していました。「自分の事ばかり話すのはあいつなのに。しかも天王星人だからとか言われたら、自分ではどうにもできないだろ!」と。

この事例を問題視する理由が見えません。私の狭い体験を振り返るに、これは典型的な「一時的な感情の暴発が招いた軋轢」のシーンです。

この後、仮に暴言を吐いた人が「天王星人だから」を理由に左近さんの知人と話をしなくなったとしても、それは衝突の経験があったからこそ。他の天王星人とは、当たり前のように話をしているに違いない。つまりここで「天王星人」は、「なぜ対話が失敗したか」という問いに対する当座の仮説に過ぎません。

一人の新人の嘘が、他の新人の信用まで落としたケースの解釈にも、疑問があります。

いちいち書類の数字を関係各所に問い合わせたりする例は、書類の数字を「検査」しているのであって、人格を検査しているのではないと思います。……おっしゃることはわかります。しかしこのケースでは、数字の検査=信じられる人間かどうかを確認する作業、なのです。模範囚の仮出所が早まるのと同じこと。

ともあれ、あれも違う、これも違う、とするならば、一体どこに人格の断定がまかり通っているのでしょう? 血液型占いにせよ何にせよ、規制するほどのことなのか。

被害者が抗議しても、抗議自体が「女性は感情的だからな」「AB型は二重人格だからそういう抗議をする」などという話に解消されてしまって、まともに受けとめてもらえない(こういうのはフェミニズムや人種差別の分野なんかでよくある議論)

先験的に女性やAB型の抗議が無効判定されるケースがどれだけありますか。偏見の影響がゼロという事例は、なるほど少ないかもしれません。しかし抗議が却下された主要因が、本当に「女性だから」「AB型だから」なのか、疑問に思うのです。

私が問題の発生頻度を気にするのは、その対処方法として「広範な規制」と「個別に対応」という選択肢があるからです。人の生活に「当座の仮定」は必要不可欠で、オカルトの存在意義はそれなりに「ある」という立場を私はとります。だから広範なオカルト規制には、それに見合う十分な法益がなければ賛成できない。

3.

科学と倫理について。コメント欄に書くようなスタイル(=この備忘録だけ読んでいる人には意味不明な書き方)で、ほんの少しだけ。

なお、ご要望は拝見しましたが、今回もトラックバックしません。

リンク

徳保の記事

備忘録の記事として面白いのは第2回。単体で読めます。ひとつこういう記事を書けたので、個人的には満足かな。

左近さんの記事

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