無断リンク問題では、現在、リンクする側にフリーハンドの権限が与えられています。相手が何をいおうが、リンクすること自体は自由。法律上、そうなっているのです。しかし社会通念上は、「相手の嫌がるリンクは非推奨(≠禁止)」という留保がつくのではないか。
現行法はリンクする側の良識を信頼していますが、権利に安住して他人の気持ちに無頓着になる人が増えるなら、いずれ法律は改定されるでしょう。あなたが本当にリンクしたいときにリンクできる自由を守るためには、自律して無用のトラブルを避けることが必要です。
文化の摩擦や衝突を可視化するえっけんさんの活動は、霧の晴れない世界に地図と光を提供する役割を担っています。誰かが問題提起を行う意義はあるのだと思う。ただ、えっけんさんのバカ晒しを避ける慎重さを、フォロワーの方々もぜひ見習ってほしい。
えっけんさんのいう「NGワード」とは、必ずしも使用禁止といいたいのではなく「よく考えてから用いるべき言葉」といった意味合いだろうと思っています。
id:Forty-two さんは、無断リンクや不愉快な論評を避けたいならコンテンツを公開しなければよい、と。では、「万引きに困っている書店は努力が足りない。Amazon や貴金属店を見習って商品は倉庫やショーウィンドーの中に置けばいい」という意見をどう思われますか。
対策は「可能」で、実際にやっている人もいる。しかし対策の代償は大きく、全てのケースに適用するのは難しい。……こうした問題に対し、人類の歴史は、ひとつの解決策を見出しました。「ルール」です。
多様な商品展示形態が存在するのは、ルールによって「盗む自由」が排除され、リスクとメリットのバランスを柔軟に考えられるようになったからです。このように、ルールは社会的に自由を制限することでリスクゼロ志向の軛(くびき)から人々を解放し、社会全体の利益を最大化する環境を実現します。
小さな世界の弱いルールよりは、大きな世界の強いルールのほうが優先される。それはそうです。
しかし小さく弱いルールも、無碍に扱ってはいけない。小さく弱いルールで済むのなら、その方がよいのです。複雑な世界へ柔軟に対応していくためには「いざとなれば破ることが許されるルール」の方が都合がいいからです。
小さく弱いルールが大きく強いルールへ格上げされるのは、さしたる社会的利益もないのに小さく弱いルールを踏みにじる行為が横行し、傷つけられた人々の悲しみと怒りが立法者の共感を得たときです。多数派の共感は不要なので、案外、簡単にルールは変わってしまう。そうなってから反省しても遅い。
硬いルールで雁字搦めの窮屈で非効率な社会にしないためにも、自由の無駄遣いは慎むべきです。