趣味Web 小説 2007-04-24

「思い入れ」という人間性の非効率

素人なりに経済学的に考えると、やはりこうした複雑な問題を解決可能なアイデアは「市場」の他にないのではないか。でも、この提案は実現されないと思う。

渋谷109には、一部、別の建物が食い込んでいる部分がある、という話。この事例が単純にそうだとは言い切れないけれども、全国各地でこうした困った状況が生じる最大の理由は、経済的合理性のある価格で満足しない土地所有者がたくさんいることでしょう。

著作物をめぐる議論では、土地以上に、経済的合理性より「思い入れ」が重視されます。したがって残念ながら「著作権を経済的合理性の範囲内における利用料請求権に矮小化し、あとは「市場」に任せましょう」なんて主張は通るまい。川内VS森のおふくろさん騒動でクローズアップされたのも「心の問題」でした。

著作権の「思い入れ」過剰問題は、とくに「遺族」が関わるケースで目立つ。土地問題もそうですが、「市場」が機能不全になるのは、売る側に余裕があるとき。著作物を売らなくとも、土地を手放さなくとも、生きていくには支障ない。だから経済的合理性を欠く価格を設定して「売らない」ことが可能。

そこで「固定資産税を10倍に」みたいな提案も、地価高騰のたびに取り沙汰されます。需要の大きな(=価格の高い)土地を占有しながら、ろくな利益を生み出せない人には、移動してもらいましょう、と。

結局これも、人が暮らす土地は適用対象外にしよう、とか日和って遊休地のみ課税すべしという議論になりがち。しかし遊休地の少なからずは、土地買収が進まず住宅などが虫食いのように残っていることが、放置の原因。遊休地のみ課税する案では時間のかかる土地買収が抑制され、かえって都市の再開発は進まない。

経済学が陰惨な学問である所以は、人々が後生大事にしている「思い入れ」が、どれもこれも最大多数の最大幸福を阻害していると論証してしまう点だと思う。

「人間不在のマクロ経済学」なんて言い方は、じつは精緻な人間観察を基礎としている経済学を奉ずる人々にとって聞き捨てならないでしょうが、そういいたくなる気持ちはわかる感じがします。生まれ育った土地で終生暮らしたい。代々の家業を引き継ぎたい。こんな素朴な願いを、非推奨と結論付けてしまうのだから。

逆にいって、この手の「思い入れ」が世にはばかり続ける限り、まだまだこの社会には大きな発展の余地があるといえそう。

【北京=時事】中国・重慶市で開発業者の立ち退き要求に抵抗し続けていた夫婦が2日午後、地元裁判所の調停で和解に応じ、別の場所に移るとした協定に署名した。夫婦が立ち退いた自宅は業者が解体した。華僑向け通信社、中国新聞社電などが伝えた。開発業者が周辺の土地を約10メートルも掘り下げ、自宅が「陸の孤島」状態になっても闘い続けた夫婦について、国内メディアなどは「最強の居座り」事件として大々的に報道していた。

この地域は古い家屋が並んでいたが、政府による再開発決定に伴い、2004年に立ち退きが始まり、開発業者は夫婦に350万元(約5200万円)に上る立ち退き料を提示。しかし夫婦は納得せず、3月に私有財産の不可侵を明記した「物権法」が採択された直後から、「国民の合法的な私有財産は侵してはいけない」などの張り紙をして、世論を味方に抵抗を続けた。

裁判所は3月30日、夫婦に対して4月10日までに立ち退かなければ、法に基づき強制的に退去させると通告。双方と協議を続け、夫婦側が業者が建設した店舗兼住宅の提供を受けることで和解が成立したという。夫婦は2日午後、自宅に飾り付けていた国旗や張り紙なども撤去した。

5200万円……。資本主義経済をうまく回していくためには、経済的に妥当な価格を提示されたなら土地を売るべき。自由が基本の資本主義だけど、それって人間が損得で動くことを前提としているわけで、損得無視で「思い入れ」過剰に行動する人が大衆に支持されるようでは困るのです。

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