趣味Web 小説 2007-04-25

で、何の話でしたっけ。

「あの……ぼくは、格差社会とか、嫌いですから」サーッと潮が引くように空気が冷め、派遣さん叩きの話題は唐突に終わった。

このブログはいつも愛読していて、かなり毒舌だったり強い調子で主張している印象があるのですが、なにこの弱々しい雰囲気の発言・・ちょっと驚きました。

1.

私は中学・高校時代、部活動では王様として権勢を振るった一方、教室では気弱で無口な生徒であろう、と努めてきました。

大学時代も、バイト先ではキレ者ポジションを取った一方、本業の方は「まじめだけど学業成績は並以下」との印象を与えるように気をつけていました。ただし研究室には本物の学力不振者が2人もいたので、腹をくくって優秀な学生を演じることに。

社会人になってからは、新人研修中、ちょっとだけ主導権を握る試みに手を出したものの、その後は気弱で無口で目立たない基本路線を踏襲。そうこうする内に、ホントに仕事上のスランプに直面し、ヤバイヤバイと思いつつ今に至るという状況。仕事が精彩を欠く中、強気の発言は無理。戦略とかいってられる状況にない。

「有能さを示す→期待を集める→再び成果を出す→ステップアップ」という道を進む楽しさは、私も知っています。けれども、際限がない。自分は満足しても周囲はもっと上を求める。ついに天井にぶち当たり、期待外れの結果を出したとき、落胆しつつも「応援してるから次も頑張って!」という人々の顔が悪魔に見える。

目立たずひっそりと、才能を贅沢に使って生きるのが、自分にとっては一番幸せなんだと、小学生の頃から気付いていたように思う。

部活動やアルバイトなど、頑張っても高が知れてる環境でばかり全力投球。とくに部活動、美術部では絵を描かずに文化祭準備の音頭取り、文藝部では文章を書かずに編集と製本の指揮を執る、要求のエスカレートなんて「ありえない」場所を、半ば無意識的に選んできたのです。

2.

私は少しだけ勉強が得意だったので調子に乗って小学生の頃から「東大に入る」と公言する羽目になりましたが、いかんせん実力が伴わない。学年トップ5では全然足りない。ときどき茶目っ気を出してバカな先生をからかってみたりもしたけれど、高すぎる目標に恥じ入り、萎縮する部分が常にありました。

家に帰れば文武両道に秀でた弟がいて、私なんか何をしても勝てないのだけれど、素行の悪さで親の期待を外す高等技を幼少時から磨き続けてる。弟が「俺も東大に行こうかな」とかいっても両親は「バカなこといってないでさっさとご飯を食べ終りなさい」。

驚いたのは弟が大学受験で鮮やかに全敗し、一浪したこと。よりによって国立後期試験で私の出身大学を受験しながら落ちる離れ業。あらゆるデータが弟の有能を示しているのに、決定的な場面で「まじめに頑張ってきた兄貴にふまじめな俺なんかが敵うわけないよ」という印象を周囲の全員に植えつける。

それから1年間遊んで過ごし、私が手も足も出ず落ちた大学に合格。現役受験のときからA判定だったのだから、楽勝だったろう。ここでもマジ勉強して東大に受かっちゃう、という道を選ばない。兄の面子を守る。

これぞ人生の達人ではあるまいか。期待に押しつぶされちゃう人、たくさんいるじゃないですか。期待を回避しつつ才能を発揮し、いいポジションを獲得していく。自分は心の弱い人間だという自覚があるなら、真剣に検討すべき生き方だと思う。

3.

ただ、私が弟になりたかったかというと、それはない。実家を出るまで19年の弟の人生は、母とのバトルの歴史でした。「小遣いがほしい」「お兄ちゃんはそんなものをほしがらなかった」「ファミコンがほしい」「お兄(以下略)」「お年玉が少ない」「お兄ちゃんはそんなこと(以下略)」。

こんな兄の下でフツーの子どもであろうとすることが、いかにつらいか。親より長生きできたら、遺産は全部、弟にやりたい。物やお金をほしがらないことで散々弟を苦しめてきた私が、親の遺産だけはほしいとか言い出したら、ボロボロ悔し涙を流しながら母と闘ってきた弟の人生はなんだったのか、ということになる。

「ご飯を食べても、おいしかったときには何もいわないで、まずかったときばかり文句をいう。お前には人に感謝する気持ちがない!」と母がいえば、弟は「親が子に食事を与えるのは当たり前だ!」と堂々と口にした。ひどい主張だけど、世界にただ一人の自分を愛してほしいと願った心の叫びに、今の私は胸打たれます。

もちろん母は弟のことを大切に思っていた。そんなことは日記を見れば誰だってわかる。産後、全身の関節痛で歩行さえつらくなった母。しかし一度だって泣き言や恨み節を口にしなかった。日記には二人目の子の母となった喜びと感謝の言葉だけが記されている。

私は弟との対比で両親に愛されることを望み、小遣いやファミコンはそのコストと割り切っていた……こんな解釈もありうる。事実は私にもわからない。でもこれからの生き方は自分で決めることができる。弟は「お兄ちゃんのせいで……」とはいわなかった。弟は自分の生き方と同じように、兄の生き方を認めていた。

相続放棄のためには、まずお金に困らないこと。この5年、何の苦労もなしに収入の4割が余っています。そう、努力してはいけない。それでは嘘になる。この先10年、20年、つつましい生き方こそ我が行く道と、私は証明できるだろうか。

補記

話半分に読んでください。どうも自分史的なものを書くと、無駄に盛り上げてしまう悪い癖が……。

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