先日、話半分に読んでください。どうも自分史的なものを書くと、無駄に盛り上げてしまう悪い癖が……。
と書いた件について、もう少しだけ。
無駄に盛り上げていきましょう!その方がおもろいですよ。
第1稿はノリで書くから、たいていひどい。そのまま公開してしまうことが大半ながら、ときどき恥ずかしさが勝って中途半端に表現を抑制することがあり、シャレかマジか微妙な感じになってしまう。やっぱり、やるならとことん……そうでもないか。
70年代、左翼過激派の爆弾に親友の命を奪われ、勤務先の倒産から生活基盤が崩壊、オイルショックで商店から品物が消え死都と化した東京を彷徨った父は、同じく底辺の生活にあえぐ多くの人々の善意を受けて生き延びた。
「情けは人のためならず」が誤解される世の中ですが(2006-10-30)の一節。ぶはは、自分で読み返してもおかしい。脳内の父(70年代Ver.)は飢えて痩せこけ、木の枝を杖にして、足を引きずりながら、「北斗の拳」に描かれるような街の中を歩いているわけです。そのイメージを抑制して文章にしたはずなのに、この演出過剰。
理由はわからないけど、私には親族に苦労人属性を付す願望があるらしい。それにしても死都と化した東京
とは呆れます。父の親友が左翼の爆弾で殺されたのも事実ではあるのですが……。
ま、今後も備忘録は話半分に読んでください。