趣味Web 小説 2007-07-03

学生に考えさせる授業

学生に、Aという仮説を教える。そして然る後に、Aと矛盾する仮説Bを提示する。そして教えるこちらからはAB間の矛盾は解決しない。学生自身に矛盾について悩ませる。

その結果、そうとうちゃんと考えてこそ、ABそれぞれをふまえて、両者を止揚した仮説Cに学生自身の手でたどりつく。それをしてこそ、本当に自分の頭で考えて、自分の頭の中にその成果が残り、洞察力という力の存在を認識できる。

そういう講義をせんとあかん、と思ったのは、いまの学生、「決まった正解を教わるのが大学の講義」と勘違いしているからである。あーこどもっぽくっていや。そんなの、チャート式でも読んどいてくれ。

僕なんぞは、考え方ではなくって、他人が勝手に決めた正解を学んで、なにが面白いのかなんて思いますがねえ。

なかなかうまくいかないというか、結局のところ、学生が演技力を駆使するだけの結果となりそう。

というのは、矛盾を止揚した仮説Cについて、最終的に福耳さんの独断なり、学生の合議なりで評価をするわけでしょう。90点で優、75点で良、60点でギリギリ可、30点で不可、みたいな。点数をハッキリつけるかどうかはともかく、ともかく評価はするはず。

逆にいうと、授業にする以上は、他の人が聞いて評価できるような何かをテーマにするわけ。

すると必然的にですよ、授業が終ってみれば、100点満点の回答は相変わらず謎に包まれているかもしれないけれど、「90点の回答」は明らかになってしまうわけですよね?

私の経験上、学生がその場でものすごいことを思いつくことは、まずないです。本当に驚かされた場合、まず教師の力不足を疑った方がいい。だから、まじめに一生懸命考える学生ほどむしろ、一種の馬鹿馬鹿しさを感じてしまう。「答え」を知ってる者勝ちだなあ、と。

だって、「考えさせる」といいながら、先生は最初から答えを知っていて、それに近いものを出せるか出せないか、みたいな組み立てになってる授業が多過ぎるでしょう。そこまでに聞いた話から必然的に導き出せる答えならいいけど、大半は大いに飛躍を含んでいる。知ってりゃ一発、知らなきゃ運試し。

あるいは、学生の発言をよく聞けば、狭い経験から何とか答えをひねり出そうとしたものがほとんどでしょう。「考える」といえば聞こえがいいけれど、所詮は「知ってることの範囲内から答えを探す」のがせいぜい。しかもそれが不完全だから、先生の説明を聞いて「あっ、そういえば」となる。

そういうことに、学生自身もけっこう気付いていると思う。人が「頭がいい」といわれるのなんて、たいてい他の人の知らないことを知っていた、という場面ですからね。知識万歳。

どんどん指名してみても、最初から勝負を降りていて、お客さん気分になっている学生も多い。授業が終った段階で正解を頭に入れられたらいいかなあ、と。指名されたら最悪「分かりません」「思いつきません」でもいいかなあ、みたいな。頭のいい人、頑張ってね、みたいな。

でもそういう戦略、案外、現実に通用するんですよね。東京大学が「三角関数の加法定理を証明せよ」と出題するくらいで。逆説的ですけど、東大生以外は「そんなもの、知ってりゃそれでいいんだ」ということなんじゃないか。

私は工学屋なので、理学の成果を単に知識として援用している部分が多いわけです。結論さえ知っていればどうにかなることが多い、という感覚があるのは、そのためかも。あと思考トレーニングみたいな本を読むと、「なーんだ、賢い人って、考え方のパターンを知っているわけね」と思わされる。

補記

福耳さんは他人が勝手に決めた正解を学んで、なにが面白いのかと仰いますけど、そういうのは自分の頭に自信のある人の科白ですね。バカな私なんか、一生懸命考えた自分の意見より100倍すごい考えをポンと提示されて、「あーあ、自分で考えるなんてつまんねーなー」と思った経験が腐るほどありますから。

自分で考えるより、何かで調べる、他人に聞く。その方がいいや、と身に沁みてます。自分よりすごい人の話を聞くのは楽しくて、大学の授業も基本的にそういう感覚で受講してました。「設計情報転写論」なんて自分で思い付けるようなものじゃない。

「AとBの矛盾を止揚する道があるんだ。さあ、考えてみよう」先生がこういったら、「ふーん、ようするに学生でも思いつく程度の話なワケね」と、かえってつまらなく感じる、そんなことも無きにしも非ず。でもまあ、先生をガッカリさせても何なので、授業の感想では「自分で考えたので本当にタメになりました」云々。

補記2

理屈を知っていても応用が難しい、ということは多い。学生に実際に何か取り組ませるなら、ケーススタディに類する部分ではないか。例題は先生が解いて、学生には練習問題をやらせる。

AとBの矛盾を止揚するC、当然そこには、何かしらのアイデアがある。定式化はできずとも、もやもやっとしたパターンの輪郭のようなものが、そこには必ずあるといっていい。なので、似たような矛盾A'とB'についてC'を考えさせてみる授業なら、私も賛成。

学生だって、学んだ事例と一字一句同じでないと通用しない考え方なんか知ってても意味がないと分かっている。理論を覚えた上でのケーススタディなら、モチベーションも湧く。「俺に天才のひらめきはない。無理だってこんなの」という諦めが、「理論を覚えた今、凡人でもこの課題は解決できるはず」に変化するから。

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