趣味Web 小説 2007-07-17

とりあえずYahoo!ブックマーク

下の文章は、海風さんの記事に触発されて書いた、一般論です。

都合の悪い記事「だけ」消すのと、都合の悪い記事「も」消すのに、大きな違いはないような気がする。少なくとも、その都合の悪い記事を参照したい人にとっては。というか、自分が参照したい記事さえ残っていれば、他の記事はどうでもいいんじゃないか。

私は、都合の悪い記事を消します。都合が悪いのに残しておくなんて、不自然でしょ、功利的人間として。これに対して、「ログを消すのは卑怯」といった価値観を掲げて対抗するのは、記事を参照したい側の戦略として、よくできていると思う。「都合の悪い記事を削除するともっとヤバい」状況を作り出す戦略。

でもよく考えてみれば、卑怯といわれて実害はほぼゼロ。粛々と都合の悪い記事を消していけばいい。

他人の間違いを指摘するのは楽しいし、馬鹿な人を馬鹿にするのも楽しい。許せない相手には、怒りをぶつけたいし、その怒りを共有する仲間を増やしたいというのは、多くの人が持つ欲求だと思う。

どう間違っているか、どのように馬鹿なのか、何が許せないのか、それらを説明するには、具体例を紹介するのが効果的。リンクによる参照なら、記憶違いや転記ミスもなく、安全・確実だ。

都合の悪い記事が消えてしまうと、効果的で確実な説明の手段が奪われ、不愉快だ。その気持ちはよくわかる。でも(少なくとも現在の)私は、そうした不満を乗り越えたい。実践は難しいが努力したい。

大切なのは、これからの世界が、より間違いが少なく、より賢く、不満の少ないものとなることだ。

都合の悪い記事を消した人が、再び都合の悪い記事を書かないなら、過去を咎めて何の意味があるだろうか。いや、現にもう書かれている、というならば、その記事を批判すればよい。まだ書かれていないなら、それはいいことだ。

過去に書いたことをなかったことにし、批判者に対して逆に嘘つき呼ばわりするようだと、話は違ってくる。でも、さすがにそういう人は少ないし、それならそれで対抗策はある。

いや待て、卑怯というのは、いまそこにある悪ではないか、と。それはそうなのかもしれないけれど、その批判によって、世界がどうよくなるのだろう。厳罰主義が犯罪を減らす、という立場に与しない人までが、しばしば卑怯の難詰に熱中するのは、不思議な感じがする。

というか

ムカッときたら、即保存。Yahoo!ブックマークを使えばいい。ブックマークレットひとつポチッとやるくらいなら簡単でしょ。「消すな」といっても消す人の勝手なんだから勝てるわけがない。自分がいかに少ない手間でコンテンツを保存するかを考えた方がいい。

ところではてなブックマークがYahoo!ブックマークのようなキャッシュ保存の仕組みを提供できないのは、サーバーが日本にあるからだ、という話がある。それが本当なら、近藤社長に続き伊藤直也さんも渡米して、はてブのサーバーをアメリカに持っていってくれないか。

補足

過去を咎めて何の意味があるだろうかと書いたけど、何だって過去には違いなく、少し補足したい。

ようは、個人が個人を「とっちめる」目的で批判することへの疑問なのです。自分の意見を述べるにあたって、**への批判という形式を採用するのはいい。でもそうじゃなくて、批判によってその対象を「罰する」ことを希求している事例が多いでしょう。相手の信用を落とそうと頑張ったり、謝罪しろと迫ったり。

全否定はしませんよ。そういう人の心の欲求はわかる。でも行き過ぎればやっぱり弊害の方が大きくなる。過去の記事が消えて、それでもう何だかよくわからなくなっちゃったなら、もういいじゃないか。みんな忘れて(ぼんやりとしか)思い出せないようなことを批判して何がどうなるのか。

記事が消えて困るなら保存しておけばいいので、今後はそういう手間を取ったらいい。そうすれば、それがひとつの基準になると思う。「面倒くさいから保存しない」なら、その程度のことだったのでしょう。それが消えたって、残念がるくらいで十分じゃなかろうか。

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