どちらもリンク切れなので、もうひとつリンク。
単純には、若い教師一人に教室を任せずに、ベテランを一緒に配置すればいいはず。塾での経験から、そう思う。進学塾はさておき、補習塾では当たり前のように学級崩壊します。経験不足は仕方ない、みんな最初はそんなもの。だから必要な限りずっと、新人バイトのクラスには、ベテランが補助教員として参加します。
財政が逼迫する中、教師の効率的な配置を進めるため、学校の統廃合を強力に推進すべきではないでしょうか。
あと、教育の仕事は、その大部分をマニュアル化できます。生徒の個性に合わせて云々といっても、少なくとも文書化される「計画」のレベルでは再利用が可能。前任者が引き継ぎなしに異動しても書類は職場に残ります。新人教師は、前年の計画書をそのまま流用すればいい。
……と考えていくと、ネックになるのは、地域住民・先輩教師・保護者といった人々の硬直した意識(強い思い込み)、そしてトレードオフの関係を理解しない諦めの悪さ、ではないか。
TOSS は学科指導に続いて指導計画等の情報公開と情報共有を進めてほしい。本来、教育技術の収集整理と普及は文部科学省か日本教育学会がやるべきことではないかと思う。
教育計画、時間割、食育計画、研究授業の指導案などを、各学校で、各先生がイチから作る意義がわからない。都道府県の教育委員会が雛形を提供し、各学校は一部を書き換えるだけ、となったらラクでいい。雛形の作成は、持ち回りで各学校に発注。雛形の修正は、毎年、意見を募って教育委員会で行う、みたいな。
せめて、各学校の中で、書類の再利用が進むことを期待したい。可能な限り、ルーチンワーク化を進める。夏休みの諸注意、保険便り、図書館便り、授業参観の案内状、全て必要最小限の修正や記事差替えのみで使い回す。時間割も必要がない限り改訂しない。今月の標語、今週の標語、クラス目標も昨年通り。
日々発生するイレギュラーへの対応も、問題のパターンと対処法について知見の蓄積・共有を進めたい。指導報告や始末書などを職員の共有書棚に置き、折に触れ「それなら過去に類例があるよ。たしか2004年頃。書棚を探してごらん」と、困ったときには古い記録を参照するのが当たり前、という空気を醸成していく。
学校なんて、毎年毎年同じことをやっているわけで、並みの民間企業よりよっぽど効率化が進んでいておかしくない。なぜそうなっていないのか。修学旅行も遠足も工場見学も、いつもの日程でいつものところへ行けばいい。運動会のプログラムやダンスの振り付けも毎年同じで不都合ないはず。
どうしても変える必要のある部分だけ、最小限度の修正を行う。万事そういうスタンスで臨むのが正しいと思う。
同じ先生が教えている家庭科の授業なのに、学年毎に経験した調理実習のメニューが違うことに驚いた中学時代。注意して学校のやることを見ていると、毎年のように体育祭や文化祭の計画書がイチから作り直されていることにも気付いた。これで忙しい忙しい……って、バカじゃないのか、と呆れたことを思い出します。
文部科学省の指導方針は毎年あれこれ変わる。そりゃ大変だ。でも、調理実習のメニューを毎年変える必要は皆無。体育祭や文化祭だって十年一日のごとくで問題ないと思う。
リンク先の記事がなくなってしまっているのでうろ覚えで書きますが、新人教師が大量の書類をイチから作らされ、授業のやり方も手本が示されず、苦労し、悩み、それで死んでしまったという内容でした。そういうひどい学校は少数なのかもしれないけれど、悲劇が絶えないのも事実でしょう。
おかしな学校が減り、みんな定時で帰れるようになるといい。(改訂 2007-12-07)