何度も書いているように、実名を Google とかで検索して、「へぇ~、***くんはネットで徳保隆夫って名乗ってるんだぁ」と分かってしまうのは嫌だ、と私は思っています。
とはいえ匿名に「逃げる」つもりはない。私の書いたことが原因で誰かに「被害」をもたらしたのであれば、その責任は(基本的には法の定める範囲内で)負うつもりです。また私は多くの場合、法的な責任がなくとも、ときには自らの信じるところを枉げてまで、相手の切実な要求を受け入れてきたつもりです。
しかしながら、私刑のような形で復讐されることは、御免こうむりたい。そのようなことまで「責任」の範囲内だとは考えない。かつても今も、私刑の駆逐は不可能だ、という諦観は述べてきたけれども、少なくともここ数年、積極的に私刑を称揚したことはない(記憶違いであればお詫びします)。
私はこれまで、トラブルの相手から信頼のできる連絡先の提示を求められて、拒否したことはありません。それは、相手が希望しているのはトラブルの解決であって、私を痛めつけて胸をスーッとさせるためではない、と信じることができたからです。
そのような私にとって真に怖いのは、企業ではなく個人です。訴訟を本当に起こす人ではなく、実際は全然その気のない人です。法の裁けぬ悪を討つ者がヒーロー視される世の中です。
小倉秀夫さんの提唱する共通ID制は、実名を常に名乗れという提案ではない。私の理解では、サーバーの管理者がユーザーの個人情報へのアクセス手段を確保し(必要なときに共通ID管理機構へ問い合わせる)、トラブル発生時に共通の基準に従って当事者間の交渉(裁判を含む)が行われる仕組みを作ろう、というもの。
この提案が「インターネット実名制」と呼ばれてしまうところに、日本のウェブの不幸があると思う。
裁判が公開で行われることと、(例えば)ネットで個人情報を公開することとは、形式的には同じ「公開」でも、現実問題としてはかなり違う。交渉のため、といって開示させた情報を悪用して個人的な制裁を行う……多くの人が心配しているのは、そうしたことではないか。
無責任なネットユーザーの根拠に欠ける悪口に怒って訴訟を起こす企業は、そういうことをしない。ふつうの人だって、そう。けれども世の中にはいろいろな人がいるから、共通ID制を通じて入手した情報の公開に厳罰を科す仕組みとセットにしてほしいと思っています。
情報の「悪用」、と書いたけど、それが(その人の信じる)正義の実現を目的としているからこそ、法による制限が必要になります。個人の倫理感による自制が期待できないのです。損得勘定で正義感さえ抑制されるほどのデメリットが必要です。
ドメイン管理者情報は、特定の用途のために、特定の手段によって検索できるようになっているのであって、管理者の実名や所属、住所などを明らかにして生活を破壊してやろう、などという目的のために利用していいものではない。この手の悪党が野放しの状況で、共通ID制が信頼されないのは致し方ない面はあると思う。
しかし同時に、100%信頼できる相手にしか個人情報は渡せない、といった意見にも与しない。100%は不可能なので、その主張は、無責任に言論の自由を行使し続けたい人々を厳重に保護することになるからです。