趣味Web 小説 2008-02-13

頭ごなしの否定はいらない

母は「高校に行きたいなら、行かせてやります」「大学に行きたいなら、行かせてやります」「お勉強したいなら、させてやります」万事、この調子だった。「行きたくないなら、行かなくてよろしい」「したくないなら、しなくてよろしい」とも、いっていた。

無論、親として期待するところは明確である。こちらが道なりに歩んでいるときは何もいわないが、違う方へ行くと質問攻めが待っている。結果的には、兄弟揃って期待に沿った道を歩んだことになる。私は大学に行きたいとは思っていなかったが、漠然とそう感じていただけなので、面倒を起こすだけの燃料がなかった。

質問攻め、といっても圧迫面接のようなものではない。ちゃんと言い分を聞いてくれるし、何より両親は「好きなようにしなさい」の一点張り。ただ「計画を詳しく教えてほしい」「心配なんだ」と。私に確固たる信念があってルートを外れたなら、きっと応援してくれたろう。

こうして書いてみると、何となく理が勝ちすぎて嫌味な感じもするけれど、ベターな選択だと思う。私は結局、親の期待したルートを歩んだ。しかしそれは、私の決断。人が人に期待するのは当然のこと。そうした期待のいくつかに、応えたいと思うのもまた、自然なことではなかろうか。

会社が新入社員に年金制度が利用できると伝え、拠出金に釣り合った年金額を保証すると約束しても、かなりの人数が加入しないだろう。

だが、従業員を自動的に年金制度に加入させておいて、会社に申請するだけでいつでもやめられると伝えれば、大多数は黙って受け入れるだろう。

質問攻めには、それが「答えを求める疑問」なのか「否定的な意見の表明」なのかがわかりにくいという問題がある。

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