趣味Web 小説 2008-03-11

はてなブックマークの美点はコメントの100字制限

はてブがどう素晴らしいか、ふつうのブログのコメント欄の何がよくないか、って話は何度も書いてきたんだけど、また改めて。

1.

はてなブックマーク(はてブ)に関心ある方々のブログでは、はてブコメントの100字制限への不満をたびたび見かけますが、はてブは絶対にこの制限を緩和しないでほしいと思う。

字数・投稿回数に制限のないコメント欄が何をもたらすか。それはブログを見れば分かる。数千人が読むブログでも、コメント欄に書き込むのは数人。その僅かな人数の発言が、見える読者の声の全て。ノイジーマイノリティによる「読者からの反響」の乗っ取りが起きています。

一方、はてブのコメントは上限100字。少ない。しかも1回しかコメントできない。しかし、そうだからこそ、ノイジーマイノリティを埋没させることができるのです。ときにDIS系のコメントばかり並んでいるように見えても、よーく数えてみれば、無言の応援の方が多かったりする。

だいたい、コメント欄の長文投稿の類を見ればわかるように、字数制限がなくたってコミュニケーションの促進など(滅多に)起きない。ようするにあなたと私は価値観レベルで相容れないんですね、偏見に凝り固まって私の話なんか端っから聞く気がないんですね、と確認しておしまい。面倒くさいだけ。

2.

100字制限さえなければいいたいことをきちんと伝えられる、みたいな幻想が、どうして尽きないのか。まあ、尽きてないからブログを書いているのかもしれませんが、私はそれ、勘違いだと思ってます。

ブログは、筆者が不特定多数に向けて発言し、興味を持った読者が集まってくる場。だから、事実認識の前提が共有されている人、価値観の近い人同士が出会いやすい。その状況で、大多数の読者に理解されれば、「言葉が伝わった」ことになるのだから、勝敗ラインはかなり低いのです。

しかしコメント欄はどうですか。たいてい言葉を伝えたい相手は一人。前提事実と価値観の大部分が共有されていてさえ、特定個人の説得は不確実です。勝率6割のゲームを1000戦して負け越したら「あれっ!?」となりますが、1戦限定なら、負けても何ら不思議はない。

ブログで大勢を相手にしているときは、ほぼ100%の確率で賞賛が勝って達成感を得られるような猛者でも、コメント欄で1対1の対話にチャレンジすれば、時間と労力を浪費するだけの結果となることが少なくない。

これはブログオーナーも、コメンターも同じです。コメンターがオーナーの考えを変えようと奮闘するのも、オーナーが批判的なコメンターに反論するのも、どっちも成功率は高くない。お互い、不特定多数を相手に発言していれば、自分の周囲では味方が優勢となって、満足できるはずなのですが。

そういうわけですから、自分と現状認識や価値観の違う人間が相手ならなおさら、説得は難しい。

3.

ブログで100字制限緩和を訴えている人が、どういう場面で「100字では足りない」と思ったか。たいてい、(広義の)ネガコメをしたいとき。相手とは前提が共有されていない状況。相互理解の成功率が、かなり低いパターンです。制限が何もなくたって、だいたい失敗するんですよ、そういう場合。

(はてブははてブで偏っているが一応)多数派の気持ちが見えるというブログ主にとってのはてブ最大のメリット(と私は思っている……)を犠牲にしてまで、ガチャガチャと長文を書きたいノイジーマイノリティの意向を尊重する価値があるか。私は、ないと思う。現状維持を希望します。

どんなに声の大きな人・執念深い人・著名人などでも、はてブでは100字1回限りの枠に押し込められる。それでも、はてブを使わない、とはならないだけの魅力がはてブにはあるらしい。これが国内最強のSBMであるはてブの特異な点。1人1票の普通選挙。あの人も、うちの読者の中ではマイナーなんだな、と見えてくる。

他人が、自分のブログにコメント欄をつけてエネルギーを消耗しているのは勝手。だけど、字数・回数制限あり、しかも発言履歴検索機能付きという選択肢が、なくなってしまったら悲しい。

SBMは多々あれど、はてブ以上に「ブログ主にとって便利」なサービスは存在しません。唯一無二かつ重宝してるサービスなので、私は保守的にならざるをえない。

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