「王千源事件」の詳報。他人事だと思って中国のネチズンを批判している人が目立つが、これは日本でも 2ch とかでしょっちゅう起きていることの相似形なんでね……。
チベット族擁護で攻撃を受けるのは不当だ、という怒り方に徹しているなら理解もできるが、こういうときばっかり攻撃手段を難詰したりする。個人攻撃がいけない、言論の自由を許さないのはイカン、とかいうなら、青山学院大学の瀬尾佳美准教授だって擁護すべきなんじゃないのか。
気違いだのかんだのと口汚く罵ったり、職場に抗議の電話を掛けて処分を迫ったり。「池田VS天羽」問題で天羽さんに与した人は、新聞沙汰にまでなってる大事件には何とも思わないのかね。池田さんの抗議を黙殺した山形大学なんかどうでもいい、既に処分の検討を始めた青学にこそ差し迫った問題があるのは明らかだ。
何が「言論の自由」だよ。自分の気に入らない言論なんかどうだっていいんだろうが。自分が「場」を支配する多数派となったら、手段を選ばず異論を叩き潰して恥じないような人々が言論の自由とかいって、許せないのは、そんなのがこの社会で大手を振って通用してしまうということだ。
児童ポルノ規制の強化に反対? 瀬尾さんを擁護しないでそんなの実現できるわけないだろ。そういうものが存在するだけでも嫌だ、という人の心を乗り越えようとしているのだから、相似形なんだよ。
……いやまあ、具体的に誰を批判しているというわけじゃないんだけど。意外と、っていうか、その多くは単に片方の問題についてはあまり関心をもてないから何も書かないといった方法ではあるけど、個々のブロガーさんたちは割と一貫してるっぽい。
だけど、ブクマのつき方にせよ、ブロガーの言及状況にせよ、なんでこう、形式に注目する限りにおいて「世間」は矛盾に満ちているのかな、と。私はやっぱり、池田さんをひどいといった人には、瀬尾さんを追い込んだ連中を批判してほしい。まとめサイトまで作ってバリバリやったりしてほしいよ。
わかりにくいんだよ。
一人一人に問い質していくと、私は矛盾していません、矛盾してるというなら証拠を出せとか何とか。ちぇっ、都合が悪くなると「何も書かない」ことで矛盾を回避しやがって。まあ、私もこの手で散々逃げているんだけどさあ。
しかし結局のところ、そうして風向きを気にして主張を出したり引っ込めたりしているのでは、ほとんど誰も説得できないんじゃないのか。つまり、その時々には大勢を味方につけたようでいて、実際には原理ではなく、個別具体的なテーマへの賛否が一致したので賛意を表してくれていただけ、という。
言論の自由とかいって天羽さんを擁護して「そうだそうだ」みたいなブクマを稼いでも、池田嫌いに池田さんを叩くネタとして消費されただけなんだろう。ホントの味方は以前から味方だった人だけで。
書きたいことを書く、ということ自体に意義を見出せないと、ブログなんて、虚しい。だんだん、だんだん、アホらしくなってくる。