趣味Web 小説 2008-06-30

愛読者の察しの悪さ

愛讀者の人々も、何うしてかうも喜んで大袈裟に「教へろ」「教へろ」と騷ぐのだらう。メールで聞けば良い事なのに。

俺は公開したくないんだよ。それがわからないでどうして言へ話せ教へろと要求するんだらう。俺の事なんか本當は何うでもいいんだらう。讀者は一般に勝手なものだ。

野嵜健秀さんが、とある出版物に少し関わったことを日記に書いたら、日記のファンが「詳細を教えてほしい」とコメント欄に書き込んだ。しかし野嵜さんは答えない。するとアンチが現れ、「出版物に関わったなんて嘘だろう」という。野嵜さんは不愉快になった。……といった状況。

「真に公開したくないなら片々の情報だって漏らさないはずだ」と決め付けて、「これはティザー広告のような戦略だな!」と早合点し、「ぜひ詳細が知りたい」「じゃあちょっとだけ」「もっと! もっと!」「しょうがないなあ」なんてウフフアハハな展開まで妄想して突っ走ってしまうこと、私もないではない。

逆に、「このレベルまでなら情報を公開したい。でもそれ以上は絶対にイヤだ」という経験もあります。ふだんはほとんど無反応の人から、そんなときに限って「もっとくわしく!」とリクエストがきたりして、「微妙な書き方から察してくれよ」とゲンナリしたり。

だから悪気なしに「教えてください」といっちゃう人の気持ちもわかるし、野嵜さんのイライラ感もわかるつもりです。

この質問への回答は他の人も知りたいはず、と思ったとき、私はコメント欄で質問します。「公開できる情報なら最初から公開してるはず」という見方もあるけど、実際「大勢が関心を持つような情報とは知らなかった」「面倒くさかった」「少し気恥ずかしくて」といった理由で公開されていない情報も少なくありません。

必ずしも「書きたくないから書いていない」とは限らないんですよね。

今回はたまたま野嵜さんの真意を見抜けなかった人が何人もいて、面白くない展開になったのですが、こうした事例を見てもなお、コメント欄での「教えてください!」を金輪際しないとは約束できません。もちろん、現にこうしたことがあったわけだから、これまでより、もう少し慎重になるつもりです。

「本当は」といわれたら、まあ仰る通り「どうでもいい」のかもしれませんが、ふつうの意味では、ファンは野嵜さんに迷惑をかけるようなことはしたくないと思っているはず。あまり悪い方、悪い方に解釈なさらず、ご寛容くださいませんか。

(……と、メールではなく日記に書く不思議。自分でもよくわからない)

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