趣味Web 小説 2009-02-27

1日3回も食べる必要ないと思う

うっかり吉野家なんて提案すると、即失格判定です。とか何とか。

この手の意見をしばしば耳にするのだけれど、「吉野家に連れて行って怒るような人と付き合いたいのか」というあたり。「そうです」というならいいけど、そうじゃないなら、他の人を探した方がよさそう。

なんかこういう、片方にだけ選択権があると仮定するような話には、どうも違和感を拭えない。自分が吉野家へ行きたいのに、いちいち我慢させられて、それで楽しい気分になれるのだろうか。

ちなみに私の場合は、面倒くさいから食事を抜く。休日は1日1食が基本。朝しか食べない。実家にいた頃は、母親に「夕飯は何がいい?」と訊かれて困ることが多かった。親が心配さえしなければ、何も食べないのが一番よかったのだ。

「そろそろ食事でも」「いや、休日は朝しか食べないんで。だって食べるのとか、面倒でしょ。おなかも空いてないのに、1日3回も食べる必要ないと思うんだよね」「( ゚д゚)ポカーン」……「あの、じゃあ、帰ります。さよならー」

もう、呼吸するのも面倒くさい、と思うことがある。喘息の発作のときとか。

これも同じ。「失格」というのは、私にとっては、かなり強い言葉。飲食店を選ぶセンスを重視し、ここで気に入らない答えを出す人を「失格」と判断するなら、そこで妥協しない方がいいと思う。逆に自分も、相手がそういう人なら、そこで無理をしてもしょうがない。いずれ続かなくなる。

一時的な妥協をしていいのは、「どうでもいいこと」。お互い、少々のことなら我慢できる、という領域であれば、「最初は緊張していろいろ気を遣っていたけど、だんだん地が出てきた」となっても、決定的なトラブルにはつながりにくい。

仕事でも同じ。ここで手を抜くのは許せない、という部分なのか、まあいいか、で済むことなのか。

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