趣味Web 小説 2009-03-04

国立大学の統廃合はいいことだと思う

1.

少子化に合わせて国立大学を減らそう、という話題。

88校を27校に整理するという。基本的には地理的要因を重視したもの。

はてブでは批判が多いけど、「廃校」の実態が「統合」「合併」だとすれば、私は正しい方向性を示していると素人なりに思う。現実味は薄いかもしれませんが、総論には賛成したい。

少子化が進み、とくに教育学部などは需要が大幅に減退しています。採用枠と免許保有者数の乖離は進む一方。逆に医療・介護分野は医療の満足水準が予想以上に上昇した(にもかかわらず価格が抑制され民間参入が阻害されている)結果、人手不足となっています。

現在の組織のまま、こうした状況に対応するのは困難でしょう。市町村の合併が必要とされることと、理屈は同じです。教育大学が単独で生き残り策を模索しても非常に難しい。もちろん、一部の大学は上手に個性を発揮して生き残るでしょうが、総需要の回復は望めない以上、淘汰は避けられません。

個別に頑張ると、ハードランディングになりそう。単独の組織として存続可能な「規模」を守ろうとして、多大なエネルギーを投じた挙句、廃校とか。夕張の財政破綻(住民の減少を食い止めるべく交通の不便な夕張で新産業を興そうとして借金の山を築いた)のようなものです。

組織の自己防衛本能は、逆転不可能な環境では、よい結果を生み出しません。だから、大学を合併すべきなのです。大きな組織の一部となれば、緩やかな縮小路線を選択できます。

2.

大企業は、安定成長路線にあるときはカンパニー制で競争を促進しますが、外部環境の変化により選択と集中が必要になるとカンパニー制を廃止します。今般の不況の影響で、私の勤務先でも、部門統合が行われました。みなさんの周囲でも、こうした話をよく聞くと思います。

組織を残したまま整理・縮小を進めるのは、とても難しい。だから、組織をいったん統合して、大きな組織の中でリソースの再配分を進めていく。面倒でもそうした手続きを取るのが、人々の知恵です。

大学の統廃合は、「いよいよもうダメだ」となってからではなくて、先のジリ貧は目に見えているのだから、なるべく早めに行ってほしい。

小中学校の統廃合と異なり、大学の統廃合においては、キャンパスの閉鎖を必要としません。学生一人当たりの関連施設を含めた総敷地面積は、日本では東京大学がトップだったと思う。大学を統合した上で、緩やかに人口密度を落としていくといい。

教員養成の需要が減った教育系の大学では、学校外の分野における教育を研究する先生をあちこちから招聘して単独での生き残りをかけています。教師がいれば学生の定員も減らない。教育学部が単独で学際化による生き残りを図るのは、私は無駄が大きいと思う。

大学の統廃合により総合大学化したら、どのようなことが可能か。「教育」自体は、学校に限らず、どんな分野でも課題となっていることですから、教育学部の研究室は、他の学部に移しやすい。教師が移れば定員も減らせます。

いや、現に総合大学でそんなことは行われていない……そうですね。古い総合大学では、学部毎の独立性が強く、いわばカンパニー制の大企業のような組織となっていることが多い。Chikirin提案のような大規模改変が実際に行われるならば、例えば10年間程度、学部の垣根を下げて、大胆な人材の再配置を行ってほしい。

3.

教育機関としての大学組織の縮小には賛成でも、研究機関としては規模を維持すべき、という意見の方は多いと思う。でも、私の狭い知見からいうと、大学の研究には重複が多く、また外部の知見を十分に得られないため停滞している研究が少なくないように思えます。

小さな大学になればなるほど、当該の先生以外に同分野のことがわかる人がいない。助手と教授の専門分野さえ全く異なり、議論が成り立たない(お互いに素人の質問を出し合うだけになってしまう)。これで組織として研究の効率が上がるのは例外的状況でしょう。

個性、個性といわれる時代だけれども、「小さくてもキラリと光る大学」を目指すのは、やはり組織防衛の理屈であって、不合理です。

まずは経営の統合からはじめ、続いて人材の再配置を行い、そして「**キャンパスは**学部」というようにキャンパスの特色を作っていく。コミュニケーションの促進は、研究の効率を高めます。

「学会」に意味があるなら、日頃からキャンパスが「ミニ学会」となっている方がよい。研究テーマが異なっていても、研究室で学生同士が日頃から意見交換することは、非常に有意義です。これを拡大して、日常的に先生方が交流し、それぞれの問題について真剣に考えるような環境を形成していく。

国立大学の統廃合は、推進していいと思います。

余談

私大は放っておくべき。自由にあれこれするところに民間のよさがある。国立大学が「失敗」したとき、知恵を借りる相手は、好き勝手に生き残り工作を進めてきた私大。そりゃ死屍累々だろうけれども、そうやっていろいろ試すのが私大の存在意義なんじゃないか。

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