「国策捜査」という言葉は、佐藤優さんがベストセラー「国家の罠」で世に広めたその瞬間から誤解されていて、このたびの小沢一郎さん(野党第一党である民主党の党首)の公設秘書が政治資金規正法違反で逮捕された事件においても、本来の語義に即して使っている人が皆無に近い。
「時の権力者が明に暗に指示して行う(政敵潰しなどを意図した)捜査」という解釈が本義と化している。陰謀論の大好きな人たちが「国策捜査」「国策捜査」といっているのを見ると、ドッと疲れる。
じゃあ今回の件が佐藤優さんがいった意味での「国策捜査」じゃないのか、というと……。
まず、これまでは賄賂性が明らかでないので放置されることの多かった政治団体経由の政治献金、これを形式的に政治資金規正法違反として逮捕までもっていくのが妥当か、という論点がある。収賄罪ではないので、逮捕は過剰対応ではないか、というわけ。
従来この手の違法行為は、わざわざ逮捕して前科をつけて、とはせず、政治資金収支報告書の訂正と、問題のあるお金の返還で決着してきた。しかし最早それではダメだ、2009年の世論はこれを犯罪として裁けといっている、いま時代を変える捜査を断行せねばならぬ……といった話なら、これは「国策捜査」かもしれない。
事実上、判断は国民の手に委ねられた。ホリエモンのときと一緒。世論が怒れば秘書は有罪。さらに盛り上がれば小沢さん本人も危ない。いや、こんなのはおかしい、という意見が少数派なりに無視できない割合で噴出するなら、裁判は長期化する。国民が首を傾げていれば無罪。単純にいえばそうなる。
ただ、佐藤優さんの定義によれば、「国策捜査」はグレーの領域に線を引くことで犯罪者を作り出すけれども(でっち上げによる冤罪とは異なるので注意)、別に線を引くこと自体に大きな意味はない。その人が有罪になることで、何らかの価値観対立(に起因する問題)の潮目が変わることが重要だという。
鈴木宗男さんと佐藤優さんの場合は、北方領土問題の解決方法(と佐藤さんはいうが私は違うと思う。田中眞紀子さんのような官僚イジメの是非が真の争点。国民の判断は「是」)。堀江貴文さんの場合は、構造改革の評価。じゃあ小沢さんは? そこが見えない。なので佐藤さんのいう「国策捜査」の条件を満たさない。
*俗っぽく書けば、意見対立のある話題で、国民の多数派と前線のプレーヤーに大きなズレが生じたとき、負のエネルギーが溜まる。すると司法が動き、粗探しして逮捕。国民が大喜びすれば有罪に。鈴木さんも堀江さんも、逮捕に拍手喝さいした人がたくさんいた。それだけストレスの蓄積があった。小沢さんはどうか。
ホリエモン逮捕以降、「小泉純一郎さんと竹中平蔵さんが推進した構造改革」に否定的な意見が世論で勝つようになった。2006年、日銀はデフレ下の金融引締めを開始、有罪判決の出た2007年には追加利上げで好景気を強制終了。我々が低金利に喘ぐ中、金持ちが投資で儲けるのは許せない、という呪いは成就した。
「構造改革」と景気の関係は淡い。狭義の「改革の後退」は景気の悪化と無関係だろう。ここでいいたいのは、「国民が構造改革と結び付けている小泉政権下で目立っていた経済政策」にブレーキがかかり、一部は逆転していくサイクルに入った、ということだ。
日銀の量的緩和が終り、利上げが始まった。反デフレの意識が後退し、インフレ恐怖(結局は親デフレ)が復権する。株価が下がり株成金が沈んでメシウマ、預貯金につく金利が増えてニンマリ。……その後の日本経済沈没の経過は、皆さんよくご存知の通り。ホリエモン逮捕から3年、これが私たちの選択か。
過去の著書と同様、さっぱりした内容。サラッと読めてしまい物足りない感じもするけれど、装飾に眼を奪われて本旨を見失うといったことがない。次数が少ない分、価格も安い。びっくりするような話はないけれど、興味があるならお勧め。