コミケが大盛況で史上最高の来場者数(56万人)になった、なんてニュースをテレビでやっていた。東京モーターショーの来場者数が130~150万人だから、4割くらいか。
来場者が多すぎて周辺地域にもずいぶん迷惑をかけているそうだし、会場の混雑も無茶苦茶になっているという。東京モーターショーは次第に来場者が減りつつあるが、16日間開催のスケジュールを守っている。この我慢の姿勢が奏効して、土日+人気メーカー+人気車種という条件が重ならない限りは、落ち着いて会場を回れるようになった。今思うと80年代はひどかった。
もちろんモーターショーとコミケは違う。じっくり立ち読みされたって、サークルとしてはあまり嬉しくないだろう。きちんと車を見てもらって好印象を与えることが利益になる自動車メーカーとは事情が異なる。コミケ参加サークルが、現状の人口密度にすら満足していなかったりするのは、理解のできるところ。
それでも、コミケに用事がない人間の無責任なつぶやきではあるが、サークルと来場者のバランスは、もう少し来場者寄りにシフトした方がいいんじゃないか、とニュースを見て思った。会場に人がぎっしりで「ものすごい熱気です!」なんてのは80年代のセンス。人に優しくない。
実現性を無視して私案を述べると……。
コミケの開催日数を増やせず参加者のマナー違反も十分に取り締まれない理由は、私が少し検索した限りでは、人的リソースの問題らしい。コミケの参加料が安すぎるので、ボランティアに頼った運営になる。必要な種類の人材を必要な人数だけ柔軟に確保できないところに不都合がある。
コミケでは受益者が相応の負担をしていない(一般参加者が無料で入場できる、など)から、サービスが行き届かず、外部不経済まで生じている。理念優先で経済合理性を欠いた組織が陥る、典型的な問題状況に見える。が、声の大きい層は断固として理念を守ろうとする。実際問題としては漸進的な改善しかありえない。でもそれが正解なんだろうな。
お客様満足度って難しいよね。客観的には状況が改善されたとしてもさ、チケットの実質値上げと引き換えとなると、かえって不満が高まったり。期待と現実のバランスだからね。現代の方が凶悪犯罪が減っているのに「昔はよかった」になる、みたいな。東京モーターショーでも「昔はよかった」って意見はよく聞く。
コミケの抱える問題って、お金で解決できる事が意外と少ないから、ちょっとやそっとの増収はあまり意味がないし、意味があるレベルの増収だと多分参加する人がいなくなります。続いたとしても一部セレブだけのイベントになっちゃう。
詳細はリンク先をご覧ください。実務的に考えていっても、現在の運営方式は完成度が高く、画期的な改善策はなかなか見つからない、という内容です。
この記事は、何度か書いてる大学改革の話と同じで、ネットで声の大きい層のいう理念なんか多数派の実態や本音と全然違っちゃってるじゃないか、そしてそれは大勢の自然な判断の結果なのだから、システムを実態の方に寄せたら幸福の総量が増えるだろう、という持論を書いたもの。
machida77 「お客様」じゃねえっつーのを何回言ったら分かるんだ外野どもは!こいつの提案ってコミケの多様性を排除して大規模同人ショップの平棚にするだけじゃねーか
feather_angel お客様満足度って何様だ
jaikel うーん、だからフリマと勘違いされても困るんだけどなあ。カタログ=参加費だよ。確認していないだけ。というか確認無理。
私は文藝部出身なんで、高校時代からコミケ通いしてる知人は何人もいるの。で、彼らが「参加者」の自覚なんか持ってなくて、百貨店のバーゲンに乗り込む80年代の主婦と何ら変わらないメンタリティでコミケに臨んでいることを目の当たりにしてきた、という体験がベースにあるんです。
カタログの回し読みとか、昔からある話。お目当てのサークルの位置と、好きなジャンルの固まってる場所を事前にチェックするだけなら当日には必要がない。どうしても現場でカタログを見たくなったらゴミ箱から拾えばいい、と知人らは話してました(しばらく前から不可能になったそうですが)。
あと、カタログの確認が無理なのは、コミケが儲かってなくて、スムーズな確認に必要な設備と人員を用意できないからでしょ。最盛期のモーターショーでもチケット確認はできてた。ただしカタログは高コスト。だから入場券は、値段据え置きでペラい地図に変えないと、必要な利益が出なさそう。
とにかく、現実に一般参加者のかなりの割合がコミケを入場無料の巨大な同人誌即売会と認識していて、お祭りの観光客の気分で集まってるわけでしょう。ならば、状況に対応した変化が必要なんじゃないか、と。啓蒙で徹夜組を撲滅なんてできやしないでしょう。……と以前に知人と話した内容がこの記事の原案。
とはいえ、現在のコミケが営利目的の活動じゃない以上、理念を捨てたら組織が持たない。名前だけ引き継いで関係者を総替え、なんてうまくいくわけないし。一般「参加者」は「客」じゃない、というのは譲れない理念なのでしょうから、私の意見なんか全く実現性がない。だから、企業ブースの導入とか、これまでやってきたような漸進的な変化を続けるのが正解だと思うんですよ。それが結論。ちゃんとそう書いてあるでしょ。
私もこうして必死に反論してるわけだけど、カリカリしないでほしいよ。最初から実現性がないと断って「ぼくのかんがえたすごいコミケ」の妄想を書いてるだけなのに、黙ってろ
はひどい。具体的にどんな迷惑があったのか。自分の好きなジャンルに規制論が出たら怒るくせに、なんでそういうこというのかね。
反論や冷笑ならいいですよ。補足説明の2.や4.のような対応も不可能ではない。でもさ、不愉快な表現(意見文も含む)は「するな」って、それはあなた方の敵と全く同じ発想じゃないか。本音はそれでもいいよ。だけど、言論の自由とか掲げてさ、建前で戦おうとしてるんじゃないの。
temtan 「じっくり立ち読みされたって、サークルとしてはあまり嬉しくないだろう」ブブッー!!読んでもらえるだけで嬉しいっつうか、「展示」即売会なんだから見てもらうだけで目的達成だっつーの
優等生の意見はそうなんでしょうけどね。
高校の文化祭で文藝部の冊子を売った自分の経験からいうと、実際それじゃ満足できないよ。人口密度が高まると立ち読みが減って、よく売れる。やっぱり立ち読みより売れる方がいい。在庫が減らないのはつらいよ。完全スルーよりは立ち読みされた方がずっといいけど、小説とか、3分程度で読み終わるものじゃないし。
文学フリマに参加して店番やったこともあるけど、人口密度があまりに低いと物好きの絶対数が足りないから、立ち読みすら貴重。そうなると立ち読みも嬉しい。でもさ、人口密度が上がって売れ行きが上がるなら、その方がもっといい。だから店番をやってる間、「もっと混雑しろー」って思ってたよ。
撤収後の飲み会で「今日はガラガラで、本を手に取ってくれた方がじっくり立ち読みできてよかったよねー」みたいな話もあったような記憶があるけど、それが発言者の100%純粋な本音だったと私は思わない。