昨今のテレビドラマなどでも、繰り返し同じ問題構造が登場していますよね。環境の変化に対応して、周囲の協力を仰いで生き抜く能力がないと、生活が破綻しますよ、という。個人の自由を徹底的に貫こうとしても、なかなかうまくはいかない。
弱い生命を守ることと、生命の尊厳を守ることの両立は難しい。自分なら清太のようにはしない、と思うけれど、「社会的な責務を果たさねば生きることを許されない」ことへの悲しみは私の中にもあります。みんなそれでも頑張っているんじゃないか。その通りだが、大多数の人が我慢できる悲しみなら放置してよいのか。
テレビドラマの脚本は、この割り切れなさによく取り組んでいます。人生はつらくて苦しいんだけれど、自由なんて幻想で、だからプライドなんか邪魔なだけだったりするんだけど、それでも生きているのは素晴らしいことなんじゃないか、小さな誇りが人を支えるんじゃないか。そう訴えることに挑戦し続けている。
逆説的だけど、そうした状況が、「火垂るの墓」を許容するんじゃないかな。みんなが清太に心の底から共感してしまったら、社会は維持できない。でも、そうではないから。清太を批判せず、ただ涙することができるのではないか。
意外と映画は短い。原作はもっと短い。
昔の学園ものと違い、友人が後景にひき家族が前面に出た物語展開に特色があった。これは脚本家の井上由美子さんらスタッフの取材に基づく。本作以降、若年妊娠を扱う作品の多くが、この路線になった。
あとノンフィクション3篇を加えた小説版はご覧になったことのない方も多いと思う。コンパクトなので、興味のある方はどうぞ。ドラマは出産で終ったけれども、当然、その先の方がずっと長い。その一端を伝えようとする作品。
ドラマ版はお母さんが絵をほめてくれる場面が好き。原作の漫画は連載継続中。掲載誌の「BE・LOVE」は私の好きな漫画雑誌なんですが、はてブの人気記事「漫画雑誌の表紙の作り比較」とその反応の中に名前が登場せず。はてな界隈ではマイナーなのかな。