趣味Web 小説 2009-12-18

不都合な慣例的ルールとの付き合い方

1.

今週、来日した中国の習近平国家副主席が天皇陛下と会見することを希望する人がいて、「天皇陛下への面会の約束は1ヶ月前までに行うこと」というルールが崩れた、という話題。

マスコミ報道でもネットでもいろいろ話題になっていますね。評論家的な意見はもう無数にありますし、私は例によって、この件を題材に自分の日々の生活を振り返ってみようと思います。

2.

会社にも慣例ってたくさんあります。若い社員は「意味わからん」といって無視しがちなんだけど、たいていよくないことが起きます。とりあえず慣例にはしたがっておいた方が安全、ということだけが現在に伝わっており、それぞれのルールが生まれた経緯がわからなくなってしまっているので、そうなるわけです。

当然、きちんとした引継ぎも行われない。すると、自然消滅的に慣例がなくなってしまうこともあります。若手社員ばかりの新設部署が、どういうわけか他の部署との連携がうまくいかずに苦労するのって、じつは「慣例に疎かったから」なんて理由だったりするのです。「どうしてマニュアル化されていないんだ!」と偉い人が怒ったら、「じつはされてました」なんてことも。

私の勤務先は歴史のある会社なので、社内の「標準」だけでファイル数十冊分となっており、私も通読したことはありません。こうなっちゃうと、書類があって形式的には引継ぎもしているが、実質は違う、というややこしい状態になります。

しかしまあ大抵の慣例はそういうものなんですけど、逆に、しょっちゅう参照されるのに現実とのすり合わせが不十分というケースもあります。とくに「安全」側に大きく振る形で「とりあえず」決めたルール。

「安全」だって過剰に追い求めれば方々にしわ寄せが行くのですが、「安全」なら改善に緊急性がない。それで放置されるうちに、大勢に広まってしまって、「関係者が多すぎて変更のコストが高く、改正は困難」なんて状態になってしまう。しかしこれは危険な状態で、いずれ慣例的ルールは挑戦を受けることになる。

多分、「1ヶ月ルール」というのも、そういう種類のものなんじゃないかな。外交日程なんて、なかなか1ヶ月前までに決まるというものではない。もうちょっと短くならないの? と不満に感じてる人は少なからずいたと思う。だから「何とかならないの」と自民党からも相談する人が出た。そこに不思議はない。

ただ、大国の幹部ならルールを枉げられる、小国だとダメ、みたいなことになると、陛下の会見設定が恣意的になってしまう。陛下の会見をレントシーキングの種にはしたくない。この議論は強靭なので、「それじゃあ仕方ないね」となってきたわけです、これまでは。

民主党政権は、とうとうルールを枉げてしまって大騒ぎに。政治の世界も会社組織と同じで、目の前の結果を優先すると失敗するんだな、と思いました。

3.

経験的にも、周囲を観察していても、こういう場合の必勝法はひとつしかないと思います。

まず、目先の勝ちは捨てる。だって、ルールの側の理屈は正しいんだもの。まずそれは受け入れざるを得ない。「1ヶ月ルール」では、「例外を認めない」「事前に調整が必要」「ルールの変更には時間がかかる」この3点は固い。とすると、習近平さんと陛下の会見を設定するのは無理、という結論になります。

問題は、その先。会社でも、喉もと過ぎれば何とやらで、「ダメ」「どうしても?」「ダメ」これで諦めると、それっきり関心を失ってしまう。だからルールが見直されないんです。調整不足のルールのせいで煮え湯を飲まされたなら、逆にそれを武器にルールを再検討する場を設定すべきなんです。

「1ヶ月ルール」なら、「本当に1ヶ月という期間が妥当なのか」が争点になるでしょう。不都合なルールは、きちんと議論して改正した方がいい。調査と議論の結果、むしろ「1ヶ月では陛下の日程調整に困難があり、むしろ1.5ヶ月ルールとすべき」と判明するかもしれない。それはそれでいいと思うんです。

つまり、「なんで1ヶ月なんだ」というところが曖昧だから不満が出てくるわけで、みんな必死に駆けずり回って、それでどうにか運用できているんです、とわかれば、よほどヘンな人以外は怒らない。

そうした手間を惜しんで、しかも目先の利益を求めて「特例」をやると、結局はいいことがない。今回の騒動は、そうしたことを私に再認識させてくれました。

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