趣味Web 小説 2009-12-30

嫌味なニセ成金の気持ち

1.

弟の奨学金は私が保証人になっているから、弟が急死したら、私が代わりに返済する。弟は大学と大学院へ進学して楽しかったみたいだから、まあそれで十分だろうと思う。奨学金を貸してくれた団体には感謝しているので、私は自分が保証する金額だけ預金を積んで、手を付けずに置いている。弟が奨学金を完済するまで、まだ何年もかかるらしい。

2009年は、見ず知らずの人にもお金を貸した。その人のブログのファンだったので、「まあいいか」と。困ったときはお互い様だろうし、芸能人のファンがあれこれのクラブに入って金銭面で(も)貢献するのと、あまり違いはないだろう。「これだけお金があったら、世界の貧しい人々が何人助かるのかな」とか思ったけれども、どうせ私はアフリカなどで生命の危機に瀕している人々を助けないので、実質的な意味はない。

日本で大きな地震が起きると、私はしばしば「コンビニで1000円札を出して買い物をし、お釣りをジャラジャラと募金する嫌味な成金」に変身する。あっという間に財布が軽くなる。「こんな恥ずかしいパフォーマンスをやる暇があるなら、日本赤十字に10万円くらい送金したらどうか」と自分に問うのだが、返事はない。

2.

金貸しも慈善家も、私ごときが下手に真似すると心が荒む。自分という人間の底が割れるような状況に陥りやすい。自分に期待なんかしていないつもりだったのに、ガッカリする。何度もガッカリすれば、いい加減、自己評価なんか地に落ちてもいいはずだ。が、自尊心はなかなかしぶとい。

人に相談を求めれば、必ず「自尊心に合わせて現実を改善せよ」とアドバイスされる。「嫌味な成金なんか、もう二度と演じるな」ということだ。しかし私の気持ちはどうなる。私は、生活の余裕をバラ撒いて、いい気分になりたいんだよ。役に立たないプライドさえなければ、私はやりたいことをやって幸せになれるんだ。

休日、寝て過ごしている人は多いと思う。「何もしたくない、ただ寝ていたい」そう思って、漫然と時間を無駄にしている人にとって、本当は「休日を無駄にする」ことこそ理想でしょう。それなのに、内なる小さな自分が、行動を支配する大きな自分にザクザクと剣を突き立てる。

「ほんとうは寝てるだけなんて嫌なんだよ」と人はいう。バカをいっちゃあいけない。休日を「有意義に過ごした」ことは、私だって何度もあるんだ。たしかに素晴らしいよ。でも、残念ながら、費用が効果に見合わない。だから無理をしないと続かない。自分の中では完全に決着のついていることなんだよ。

それなのに! キレイゴトを振り回すこの小人は、社会通念を笠に着て、何度でもよみがえる。そして無意味に心を傷つける。許し難い獅子身中の虫である。殺すのが無理なら、何とか檻に閉じ込めたいものだ。

3.

金が余ってるなら俺によこせ、とかいう人には耳を貸さない。そのお金があれば死なずに済んだ人がたくさんいるのに、無視している鉄面皮が私なのだ。「余ってるならよこせ」だと? 金がほしけりゃ土下座でもしろ……と、きわめて下品な発想がわいてくる。

が、本当に人に土下座されてみれば、それは少しも気持ちのいいものではない。むしろあまりにも不快なので、「わかった、わかった! 頼みは聞くから! その不快な所作を今すぐやめろ!」ということになる。土下座は脅迫だと思う。

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