面倒くさいから。ていうか、どうせ「こうすれば完璧」なんて解決策はない。むしろ「失敗しても何とかなる」ような、フォローの効く職場体制作りをお互いに心掛けた方がいい、みたいなケースが多いと思う。
そもそも真に申し訳なく思ってる奴が、同じようなミスを二度も三度も繰り返すのかっつー話だ。
- 「忘れていました」⇒ 忘れない工夫は何ができる?
- 「後回しにしていました」⇒ 優先順位を正しく把握する or その作業に対する抵抗感を取り去るには?
- 「やったつもりでした」⇒求められていることを正しく認識するにはどのような確認を?
「本当に反省したならミスを繰り返すわけがない」なんて本気でいってる人は、特別な人間か、自分には甘いのか、記憶力に問題があるのか、のいずれか。私の経験では、特別な人間が多い。「できそこない」に仕事の足を引っ張られるのにムカついて、平気で無茶をいう。
もちろん「忘れない工夫」は、可能ならした方がいいね。でも時間が経つと、その工夫を忘れたり、あるいはサボったり、ということになりがち。で、結局は精神論にいってしまったり。
先日、ある人が得々と後輩にアドバイスするのを横で聞いていた私が、シュンとした後輩の去った後で「さっきいってたこと、自分は実践してるの?」と訊ねると、「いや、やってない」「だよね、おかしいと思った。そんなことしてるの、見たことないもん」「でもさ、あいつはいろいろ忘れ過ぎ!」という。
私が不思議に思い「ちょっと待って。**さんも稀にポカをすることがあるよね。たしか一昨年、健康診断の日時を忘れてて、「**さんはもう行った?」って私が話しかけたら驚いてたよね。**さんも、さっきお説教していたことを実践したら、度忘れを完全に撲滅できるんじゃないの?」というと、嫌な顔をされた。まあそうだろうな。
でもさ、それって後輩くんも同じなんじゃないだろうか。100の仕事があって97くらいは忘れずにこなしてきたのに、3つのミスの方ばっかり責められて、あれをしろ、これをしろ、って、堪らないよ。
「おいおい、3%も言い付けを忘れるなんて、社会人失格だろ」という人が、この記事の読者には多いかな? 頭がよすぎて、いろいろ見えてないんじゃないか。いま失業率が高くなったといっても5%でしょ。小中学校のクラスメートを思い出してみてよ。その若くて記憶力が衰える前の頭脳が、どの程度のものだったか、よく考えてみてほしい。
本当に重要なことなら、組織として問題解決に取り組んでシステム化するべきで、個人の努力で創意工夫して切り抜ければそれでいいことなんて、「所詮はその程度の話だ」ともいえる。
工場の場合、「忘れてました」で死亡事故になるから、全く頭を使わなくても事故だけは起こさないように安全設計をする。生産技術の人たちと一緒に仕事をすると、「本当の本当に100%を目指すと、こういう風に世界を組み立てていくんだな」と勉強になって面白い。(いずれ機会があれば、この日記でも紹介したい)
他人にあれこれ指図するときは、まず自分がやってみた方がいいと思う。たいてい、思いつきの「対策」は、そのメリットに対してあまりにも面倒くさすぎる。自分でやってみると、「これは無理だな」と気付くことが多い。……というこのアドバイス自体、実践はなかなか困難ですよね。
ま、イライラしたときは「他人に甘く、自分に厳しく」と3回唱えるといいですよ。自分の一番ダメなところを基準に考えてみる。そして、できる限り、無理・無茶をいわずに、状況をよい方向に転換できる方法はないか、もう一度、検討し直す。私がそういう余裕を持てる職場環境を作っている上司はスゴイな、と思う。
ギスギスした職場は嫌だ。「次にミスをするのは自分かもな」と思ったら、「ミスをフォローする体制作り」に目が向くのは自然なこと……のはずが、世間では意外とそうでもないみたい。なんでかなあ。素朴に怒ってる方がリーズナブルなのか?