趣味Web 小説 2010-04-11

「リアリティー」って、何なんだろうね。

9日から3夜連続放送の合計8時間(CM抜きで7時間くらい)に及ぶ大型ドラマ。脚本の三谷幸喜さんが好きなので、撮影中のあれこれが新聞に載った頃から気になっていた。

1.

のっけからドラマとほとんど無関係の自分語りをはじめるのだけれど。

私の場合、授業参観も運動会も嫌いで、とにかく学校へ両親がやってくるのは嬉しいことではなかった。これは「照れ」ではなく、本当に不愉快なことだったのだ。

幼稚園の頃には、両親が観に来るのが嫌で、お遊戯会をボイコットしている。このときは「トイレに行く」といって教室に戻り、アップライト・ピアノの裏側の隙間に潜り込み、そのまま不貞腐れて昼寝してしまった。黒いカバーに日差しが当たっていて、その内側は眠気を誘うような気温になっていたらしい。このとき、両親はもちろん幼稚園の先生も、私を見つけるまで1時間以上も駆けずり回らされたということだ。

これはいまだに私にとって「かくれんぼ」の最長隠棲時間記録だ。高校時代に一時期、美術部の中で「かくれんぼ」が流行ったときも、とうとうこの記録を抜くことはできなかった。

それで私の母は、泣く泣く運動会を見に行くのをやめた。私が運動会で走っている写真は、幼稚園のときが最後である。ちなみに私が通った小学校では、共働きだったり片親だったりで、仕事が多忙なため運動会に保護者の来られない子が何人もいたため、昼食は全員、教室で食べるのが慣例だった。

2.

『わが家の歴史』第三夜の最後の山場は運動会で、家族がみな運動会に集まってくる。私がそれを見て白けているかというと、じつは全くそのようなことはなく、感動して涙ぐんでいるのだった。こういう話をすると「どうして?」と首を傾げる人がいる。すごく乱暴にいうと、物語の好き嫌いが激しいタイプの人。

何でもかんでも自分に置き換えて考えちゃうのね。自分なら好きになれないタイプの人と恋に落ちるキャラクターがいたりすると、途端に「信じらんない」とかいいだす。私の場合はそうではなくて、運動会のシーンはようするに家族愛を描いているわけで、いったん抽象概念に置き換えてから、共感するわけ。

「よくそんな器用なことができるね」なんていわれるんだけど、いちいち推理小説を読むのに殺人犯に自分と一体化するような共感の仕方なんてしていたら、むしろ頭がおかしくならないか。ともかく、世の中にはこういう人もいるのだから、表現規制に熱心な人が出てくるのも当然だな、とは思う。

3.

さらに関係ない話。私は、父と遊ぶこと、母からプレゼントをもらうこと、なども嫌いだった。いや、今も、かな。

父は私とキャッチボールや将棋などをしたかったのだそうだけれども、私が嫌がるので、人生の夢は事実上、叶わなかった。たしかにキャッチボールも将棋もできたのだが、私は始終ブスッとしていたのだ。というか、そもそも私はずーっと父が好きではなかった。理由はとくにない。父にとっては、全く不幸な話である。

母はときどき私にプレゼントをくれたが、私は何をもらっても喜ばなかった。あれこれ試し続けた挙句、母が理解したのは、私がお金を物に替えること自体を嫌っているという事実だった。私はお小遣いをひたすら貯金し続け、何も買わなかった。服は穴があくまで着続けることを望み、母が早めに新しい服を買ってくると、私は怒ってそれを着なかった。そのまま年月が過ぎて弟のものになった服が何着もある。

父は早々に匙を投げたが、母は子どもに物を贈るのが「楽しい」ので、我慢して受け取りなさい、といい続けた。近年、東京へ寄席の見物にくるついでに冷凍食品などを持ってきてくれることがあるのだけれど、母は必ず事前に「冷凍食品を持って行くけど、いいかい?」と訊ねてくれる。私の偏屈も今ではかなり和らいだので、「ありがたくいただきます」と返事をする。

だいたいテレビドラマに出てくる子どもって、お父さんが家に寄り付かないと寂しがるし、お母さんに新しい服や靴なんかを買って貰うと喜ぶ。そうでない場合は、特別な理由が付けられている。中学生になる頃には、テレビの中の世界に自分みたいな人間は存在できないらしいな、と私は気付いていた。

「リアリティー」って、何なんだろうね。

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