そもそもの話題は「子どもに勉強の意義を訊ねられたら、どう答えるべきか」というものだった。私の回答は「腹を割って話す」の思い出(2007-03-10)にある。もう昔話だが……少し引用してみる。
個人的に、**ができたら幸せになれる、という言い方は避けたいと思っていた。なぜなら、やっぱり全員がテストで満点を取れるようにはならないからだ。トップクラスへの展望がない、底辺で悩む子どもに功利主義で勉強の意義を説くのは、残酷ではないか。彼らはその果実のほとんどを手にできないのだ。向学心を最後まで支えるのは、学ぶこと、それ自体の魅力なのだと私は信じる。
実際、私は「なんで勉強しなきゃいけないの?」という質問には、こんな風に答えていた。
「いけなくなんかないさ。勉強をしなくたってお父さんお母さんはごはんを食べさせてくれるだろうし、君はずっとみんなにとって大切な存在であり続けると思うよ。それは安心していいんだ。勉強なんて、何か不安に駆られて嫌々するものじゃない。したいからする、という以上には、とくに理由はいらないと思う」
まあだいたい、「じゃあ、授業をはじめようか?」と問うと、「うん」と生徒は答えた。私はというと、「子どもを説得しようと躍起になってる大人は多いが、実際に自分が勉強に打ち込んでいる大人がどれだけいるんだ? 自分も説得できずに子どもを説得なんてできるわけないだろ……」なんて考えていた。いや、いまもその考えは変わってないかな。
そういえば、生徒が宿題をやってこないと授業のはじめにグチグチ小言をいう講師が多かったのだけれども、アレは何だったんだろうな。宿題をやった方がいい理由があるなら宿題を出すときに話して、生徒が宿題をやってきたら褒めればいい。だいたい宿題を出すのは授業の最後で、残り時間は少ない。時間に余裕があると説教が長くなる。つまんない話は短く済ませた方がいい。そういう意味でも、授業の最初に生徒がやってこなかった宿題について小言をいうより、残り時間が少ない時に宿題を出すと同時に簡単にその意義を語る方がいい。
こういう考え方は私にとっては自然なものなのだが、どうもつまらない話ほど長々とやりたがる人が世の中には少なくないらしい。なんでだろう……。
授業が進まないのを生徒のせいにしたりしてさ。お説教で授業時間を浪費してるわけ。それで教え切れなかった分を宿題にしてしまう。おいおい、自習で問題が解けたら授業は要らないだろ……。で、次の週になると、宿題をやってこない生徒にまた腹を立てている。横で見ていて、人間の思い込みは恐ろしいと思った。
生徒がかわいそうなので自習時間につかまえて宿題をワイワイガヤガヤして一緒に解いたりしたんだけど、講師の人がやってきて「自分でやらなきゃ力がつかないでしょ」とかいって怒るので参ってしまった。ニコニコ笑顔で勉強してたらそんなにいけないのか、と悲しくなった。