趣味Web 小説 2010-07-09

いろんな会社があっていい。大切なのは会社を選べること。

個人的には、「餃子の王将」のような会社もあっていいと思う。そういう雰囲気が好きな人もいるんでしょう。研修を受けて本当に自分のためになったと感激している人も、少なからずいるのではないかな。

だから、「餃子の王将」が「改心」することは、差し引きでは幸福を増やすかもしれないけれど、個人を見ていくならば、幸福の減少や不幸の生産にもつながるに違いない。世の中にはいろいろな人がいるのだから、いろいろな会社があっていいと思うんだ。社会がお節介にも個別の企業の文化に口出しをすべきではない。

労働者にだって会社を選ぶ権利はある。不景気で人余りの状況ではあるけれども、何も餃子の王将を選ぶ必要はないだろう。餃子の王将はそれなりに人気の企業である。応募すれば受かるという状況ではない。ここに入れるくらいの人なら、他に選択肢はあると思う。

公式にもメッセージが出ているんだね。いいことだと思う。

現状、不幸なのは、入社してみるまで会社の雰囲気がよくわからないことだ。先輩訪問みたいな習慣も、どういうわけか廃れてきているし。新卒偏重の風潮が崩れて、高卒にせよ大卒にせよ、数ヶ月のお試し期間を経て、双方の希望が合致したときだけ採用する、みたいな就職活動が一般化していくといい。

問題は、そうなるまでの対処。歯切れの悪い話になるが、これは情報共有しかないと考えている。自分の気に入らないものは滅ぼしたい、という気持ちは理解するが、それをどんどん現実化していくような方策には与しない。多数派の認める自由だけが許される社会は、息苦しい。嫌だ。

多分、本当は餃子の王将みたいな会社に入りたい人は多くないと思う。だから、みんながきちんと会社の文化を理解して入社するような社会になれば、自然と、餃子の王将は人材難に陥ってライバル社に負けていく。それで文化を転換するかもしれないし、最後まで突っ張って滅びるのかもしれない。それはどちらでもいい。

餃子の王将みたいな会社は私だって嫌だけど、世論の袋叩きによってブラック企業の足を引っ張るとか、そういうのは肯定したくない。それは結局「みんなが自然と自分に合った会社をみつけていける仕組み」から遠ざかることになると思うから。

つまりさ、そういうのは発想がこんにゃくゼリー規制と一緒なの。どの食品も十分に安全でなくてはならない、というね。危険でも選ぶのは自由であるべき。選べないのが問題なんだ、と私はいいたい。

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これも不幸な事例だと思う。

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