私が「ハーバード白熱教室ノート」を作った理由はいろいろあるが、aczogさんのような方への反発もそのひとつだ。2chの反応に苛立つ気持ちは共感できるが、それを批判する意見には、素直に肯けないものがある。
多分、私はいつものように、その主張そのものより、態度が気に食わないのだ。白熱教室の公式サイトには、講義を踏まえてさらに考えるための課題が用意されている。それに取り組んでみてほしい。存外、2chの反応と大差ない意見しか出てこない、ということはないか。自分自身にガッカリしたくないから、「結果を出す」ことを避けているのではないか。
批判はしていい。けれども、他者を批判するとき、自分はその批判の対象ではないかのように書くならば、何か証拠がほしい。逆に、じつは自分自身にも向けた批判だとするならば、もう少し書き方というものがあると思う。
これはaczogさんがとくにどうこうというのではない。白熱教室を引き合いに出して日本人を批判する多くの方々について、私が感じていることだ。「お説ごもっとも。こんな私があなたと平等な投票権を持っていてすみません。精進いたします」と思う半面、「俺はあなたが他人を嘲弄できるほどの人物だとは納得していないぞ」という憤りも覚えるのだ。
こういうことを実際に口に出すと、「いえ、あなたのことではありません。気分を害されたなら謝ります」などと返されることが多い。俺じゃなかったらいいのかよ。世間で散々バカにされてる鳩山由紀夫さんだって、差しで話せば私ごとき圧倒するだろう。ふざけんな。……と、私は不機嫌になり、黙り込む。