これを更新するのがね、けっこう面倒くさいんだ。まず、Googleで「白熱教室」とか「サンデル」とか検索してブログを見つける。次に、他にも記事を書いてないかな、と思って過去ログを探していく。たまに「ハーバード白熱教室」というカテゴリを作ってくれてる人もいて、ありがたい。
「浅学者のよろこび」のtodotaroさんは白熱教室の感想記事を32も書いていらっしゃるのだけれども、一覧がない。全12回の放送の感想をコンプリートしている方は、私を抜きにすれば、他に知らない。きわめて貴重だ。ログが流れていってしまうのは、もったいないと思う。
私がこういうリンク集を作るのは、後日、自分が読み返すためなんだけれども、リンク集がどんどん大きくなっていくと「本当に読み返すのかなあ?」と疑問がわいてくる。「よ、読み返すさ!」と、急にこれまでのリンク先の再読を始めたりする自分が、よくわからない。
「ハーバード白熱教室ノート」は特別に成功したケースだ。ふつうは、特設サイトを作るより、ブログに書いた方が大勢に読まれる。過去ログとして格納されてしまっても、むしろ特設サイトのコンテンツより検索結果の上位に出てきやすい。「にゃごろう村」(2001-2003)の頃から、きちんと整理されたコンテンツより、何でもありの日記ページの方が断然読まれやすいという傾向はあった。「ブログ以前」からそうだったのだ。
だから、何でもブログに書いてそれでよしとして、特設サイトなんか作らないという判断は理解できる。いつもの手順で惰性も活用して更新できる、物理的・心理的な障壁の低さの面から考えても、合理的だと思う。
なら私は、どうして特設サイトを作ったのか。
まず利便性。一番の利用者である自分自身が、ブログの過去ログに大量の記事が埋もれてしまうと不便だと思った。
次に、完結性の問題。将来の自分は、絶対、全12回のノートが揃っていることを喜ぶはずだ。でも、ブログで更新していくと、1回か2回、抜けてしまっても「まあ、いいか」となるだろう。特設サイトを作って、記事一覧をリストではなく表形式でまとめれば、まだ記事が書かれていない空白の部分が視界に入るたび、「サボるなよ」と自分に負荷をかけることができる。
あとは、勝算があったから。とりあえずは気軽に作ったサイトだったけれども、開設1ヵ月後の時点で、全12回を完走しそうなライバルがないことに気付いた。「だったら、自分がやるしかないでしょ」と。ちゃんと需要があって、他にライバルがいないなら、特設サイトを作る意味は十分にある。
他にも理由はいろいろあったような気がするけど、忘れた。
「にゃごろう村」……。
いま読み返しても悲しい。ホントにリアル友人を失った(それきり音信不通)ログ。あ、そういえば、2007年に母校の文化祭へ久々に顔を出した際、数メートルの距離で顔を合わせたんだっけ。こっちは「生きててくれたんだ!」と嬉しかったんだけど、大佐は「嫌なヤツに会っちゃた」みたいな顔をしてたな……。