私が生まれる。
機内食メーカーに勤める父が「キッチン」から「原価計算」へ異動。夜勤も残業もなくなり給料が3割以上減る。以降、定年退職するまでピーク時の所得を回復することはなかった。それでいて慣れない事務仕事で椎間板ヘルニアを患い、手術と長期入院を経験する。
父がパソコンを買い、たっぷり2週間かけて、年賀状を作成した。印刷には1週間かかった。「ありがとう。お疲れ様」といって受け取った母は、半日で100枚近くの宛名書きを終え、投函した。印刷ミスは40枚に達したので、母は何度も郵便局へ足を運び、書き損じ葉書の交換を依頼したのだという。
Windows95は、重くて使い物にならなかった。父はガッカリした。私は学校で初めてパソコンに触れたが、いきなり大嫌いになって、こんなものと関わらずに生きていけたらいいのにな、と思った。
パソコンが新調され、Windows95が動くようになった。父の部屋に仕事関連のフロッピーディスクと印刷された紙であふれかえるようになった。深夜までジーコジーコ印刷したので母は怒り、プリンターは母が管理することになった。年の瀬が迫る頃、父の年賀状作成は、やっぱり2週間かかった。
父はインターネットに興味津々だったが、母にブロックされた。一方、私は部活の用事で一太郎を少し使ったが、ワープロ専用機の方がいいな、と思った。
春にCASIOのワープロ「Darwin」を買った。レポート作成に大活躍。あと文章の校正が楽になったので、長文の手紙を書くことが苦にならなくなった。
夏、大学の情報処理(UNIX)の授業の一環でHTMLを学んだ。Mosaicは画像が表示できる画期的な云々という説明があったが、画像の扱いについては説明がなかった。課題として、イントラネット用の自己紹介サイトを作成した。自分のウェブサイトを既に持っている同輩がいて、カラフルで何ページもあるサイトを提出したので、圧倒された。
避暑のため図書館または情報処理室に入り浸るようになり、閲覧者として「インターネットは面白いな」と思うようになる。
NECのノートパソコンを買う。実験のグラフを手で書いたり、手で計算するのが面倒になった。DarwinにもExcelが入っていたらいいのに、と思った。その後も私は、壊れるまで可能な限りDarwinを使い続けた。で、フロッピーの読込不良が頻発するようになり、大量の文書データを失ってしまうことになる。
この頃、手紙でやり取りしていた相手の多くがメールアドレスを持つようになったので、メールのやり取りが増えた。夏に情報処理室のUNIXシステムが更新されたが、SKKの使い勝手は何も変わらず、ガッカリした。他方、Mosaicに替わって標準のウェブブラウザとなったネットスケープの表現力にはびっくりした。
秋、図書館のWindowsシステムが更新されてInternet Explorer5が使えるようになり、また驚愕した。
実家が引っ越して、父のパソコンが新しくなった(この機種は2007年まで現役だった)。また、ケーブルテレビのサービス圏内となり、インターネット24時間使い放題の契約が可能となった。が、契約しない。
冬、就職活動のために、ケーブルテレビのネット回線を引く。
いろいろあって現在に至る。
あれ? 便乗記事を書こうとしていたはずなのに、他の人の記事と内容が全然違う……。なぜだ。少し考えてみて、「1980年、私が生まれる。」という書き出しが、決定的にまずかったのではないか、との結論になった。