趣味Web 小説 2010-07-17

ウェブサイトの思い出

前の記事が脱線したまま終ってしまったので、仕切り直し。

このところADPAZ store闇黒日記der Gegenwart冬言響などで書かれている、サイトの変遷メモに便乗する記事を書く。今日はちゃんとテーマに沿って書く。

1.

自サイトの変遷をまとめたページ。昔のサイトがそのままコピーしてあるので、私がだんだんHTMLやスタイルシートを覚えて、まともなマークアップをするようになるまでの過程がよくわかる。「趣味のWebデザイン」のトップページがだんだんシンプルになっていく様子も一目瞭然。興味のある方はどうぞ。

こういうのはサイトを作った自分自身がいちばん楽しいと思う。みんなもやったらいいのに……と、私は時々話してきたのだけれども、実行している人を滅多に見かけない。かくいう私も、2006年を最後にやっていなかったりする。

2001年

3月に山田大佐と「にゃごろう村」をはじめる。当時、山田大佐は自宅にネット回線がなかった(!)ので、「私が郵便でフロッピーを受け取り、データをアップロードする」という仕組みだった。

当初はアップロード係に過ぎなかった私だが、大佐のサイトはあまりに素朴なデザインに見えたので、私は見よう見まねで勉強し、その改善に取り組むようになった。その過程でスタイルシートを知り、HTMLを勉強しなおした。私は文章を書くことには興味が持てなかったが、デザインいじりは面白かった。

かなり苦労してデザインを洗練させていったものの、大佐が掲げる1日100人の訪問は遠かった。私は苛立ち、大佐に対して、思いつく限りのありとあらゆる注文をつけるようになっていった。

12月、私は「02初級Webサイトデザインアドバイス」なるサイトを作った。大佐に自分の意見が十分には受け入れられない鬱憤が、こんな形になったのではないだろうか。当時、サイトの感想がほしい人はたくさんいたので、こんな企画が不思議と成立してしまった。

また、この新サイトは、9ヶ月間の勉強の成果を試す場でもあった。テーブルレイアウトの排除、スタイルシートによる見た目の調整……。「にゃごろう村」はコンテンツが増えすぎてデザインの改修が難しくなり、新しいアイデアへの挑戦には障壁が多かったのだ。

2002年

自分の流儀を守りつつ読者を増やそうとした山田大佐に対し、私はその流儀を捨てることを主張し続けた。ついに私は、大佐が愚痴を書いた1月18日の日記に「愚痴なんかつまらないから書くな」と公開で批判するに至る。翌日、「にゃごろう村」は閉鎖された。

当時、私は大佐の反応に驚いたのだが、今にして思えば、当然の流れだったろう。「大佐の面白い文章を、いかに大勢へ届けるか」という当初の問題意識から完全に脱線して、「大佐がつまらないことを書くから人気がないんだ。面白いことだけ書け」と批判したのだから、大佐が「裏切り」といったのもうなずける。

新サイトの運営は順調に推移し、簡単に1日100人の訪問を達成した。でも私は面白くなかった。私は山田大佐のエッセイを大勢に読ませたかったんだ。11月、私はレンタル掲示板を使い、適当に思ったことを書きはじめた。これが現在に続く「備忘録」のはじまり。以来8年間、うちのメインコンテンツになっている。

2.

こういうのも、作っておくと後で自分が楽しい。

2003年

「change」スタイルを全面改修して「think」スタイルを作る。以降、2009年まで基本的にデフォルトスタイルは「think」だった。

2005年

私は「think」に満足してCSSの勉強をパタッと止めてしまう。新しいスタイルを自分で考えようとすることもなくなった。そんな中、世間ではディスプレイの高解像度化が進み、CSSの伝道師たちの間にも固定幅のデザインが広まっていくことになる。

そこで私は、プロに依頼して固定幅のスタイルをひとつ用意することにした。それが「plant」であり、2009年以降、デフォルトで使用してもいる。

2010年

「plant」から5年。そろそろ新スタイルを追加したいな。相変わらず私自身は「think」がいちばん好きなんだけれども。

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