趣味Web 小説 2010-07-18

記憶の捏造ってそんなに問題?

1.

あずまんというのは、小説家の東浩紀さんのことだそう。常野さんによると、東さんは過去の自分の発言について、記憶違いをしているらしい。まずそこに議論がありうると思うけれども、とりあえず常野さんの仰るとおりだとして。

私がよくわからないのは、現在の東さんの主張なら、常野さんは肯定できるのか否か、ということ。もし肯定できるなら、少なくとも現在の東さんは、その発言の通りに考えているのだろうから、もはや批判する必要はないでしょう。常野さんがやっているのは、無意味な嫌がらせに過ぎないのではないか。

逆に、現在の東さんの主張にも問題があるなら、現在の発言をこそ、きちんと批判すべきだと思う。

2.

少なくとも現在の東さんの中で、過去の発言の真意は現在の主張と同様のものだったということになっているのだから、実際の過去の発言がどんなものであれ、それを責める意味はないと私は思う。

誤った言葉の選択を「真情の発露」と解釈されて謝罪を強要され、「理不尽だ」と思ったこと、私は何度もある。それに、刑罰の類は、当人が再び同じ過ちをしないために科すもの。仮に記憶の捏造があったとしても、現在の考えが問題のないものならば、既に問題は解消されている。もはや「罰」など不要ではないか。

私には、常野さんの「勝利条件」と、その根拠が見えない。

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